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嘉義公園の南側の一角には、嘉義市立棒球場(野球場)。その前の広場はKANO園区と名付けられている。2014年にヒットした台湾映画“KANO”、1931年の甲子園で準優勝した嘉農(嘉義農林学校、今の国立嘉義大学) 。

▲ 嘉義市立棒球場
近くにライオンの像。嘉義の獅子会と横浜の獅子会の結盟19周年記念の文字。獅子会って何かと思ったら、ライオンズクラブだって。

▲ ライオンズクラブ
KANO園区から嘉義公園への入り口の門には“今古貫道”の文字。

▲ 今古貫道の門
門から先に、“鯉魚噴泉”のプレートのある碧水橋。橋の下には鯉の噴水があるが、水が枯れている。

▲ 碧水橋
橋を渡った先には孔子廟。清の時代の建築らしい。階段の中央の龍や屋根の色は北京の故宮のよう。

▲ 孔子廟

▲ 孔子廟大成殿の内部
孔子廟の隣には“台湾省嘉義市忠烈祠”の碑が立ち、そこから参道が奥に続いている。忠烈祠とは国のために殉難した烈士を追悼するところで、戦後の台湾光復後に日本の神道信仰の痕跡をなくすため名称を神社から忠烈祠に改めたもの。

▲ 台湾省嘉義市忠烈司
参道の左右には狛犬が鎮座し、

▲ 参道の左側の狛犬

▲ 右側の狛犬
建ち並ぶ日本式の石灯籠。その先には忠烈祠の石の門。

▲ 石灯籠が立ち並ぶ先に門
門をくぐった先にも石灯籠がが続いていて、“大正十年三月建之”と刻まれたものや、寄進者なのか“東石郡氏子中”、あるいは寄進した企業名思われる“新高製糖嘉義工場”などの文字が刻まれた台座ものもある。

▲ 大正十年三月建之の石灯籠
参道の右側の建物は嘉義市史蹟資料館。日本統治時代には、この周辺は嘉義神社の境内で、1940年ごろに建てられた木造の社務所が今も資料館として活用されている。

▲ 旧嘉義神社の社務所
参道の左側には手水舎も残っている。

▲ 嘉義神社の手水舎
その先、参道の左側にこんな台座だけが残る部分も。1915年に建てられた初代の嘉義神社の跡だと思われるが、中英日の3箇国語で書かれた看板は、“第一代嘉義神社遺跡および祭器庫修復工事・本殿遺跡修復工事”となっている。

▲ 初代嘉義神社の台座だけが残る
ガジュマルの木の下に日本統治時代の写真がある。当時の絵葉書を拡大しているように見える。

▲ 嘉義神社の写真
初代なのか二代目の神社の写真なのかよくわからないが、写真の立っている場所からして初代かなと思われる。

▲ 嘉義神社の写真
隣接してこんな写真も。

▲ 嘉義神社の写真
写真の後方にある木造の基礎部分が、再建だと思われるが初代嘉義神社の本殿跡らしい。

▲ 初代嘉義神社の本殿跡
参道の正面の一段高い場所は、1940年に建てられた二代目の嘉義神社本殿のあったところ。神社の本殿と拝殿を引き継いで転用していた嘉義市忠烈司は、1994年に火災で焼失したのだとか。

▲ 二代目の神社の跡地
今はその場所に建つのは、円筒形で高さ62mの“射日塔”。1999年に建設され、最上階は展望台になっている。

▲ 神社本殿跡に建つ射日塔
嘉義公園内に、阿里山森林鉄路のシェイ型蒸気機関車21号機が静態保存されているはずだったが、見つからなかった。あとでわかったが、この時点で21号機は動態への復活に向て修復中で、25、26、31号機に続く4両目の動態保存機として、2024年から稼働を開始したとのこと。
嘉義公園から、台鉄嘉義の後站(駅の裏口)、高鉄(新幹線)嘉義を経由して、嘉義体育館までを結ぶBRTの始発停留所がある。BRTで運行しているのは、EVではなく一般的なディーゼルエンジンのバス。

▲ BRTの始発停留所
バスに乗らずに、中山路と並行する民権路を市の中心方面にぶらぶら歩いて戻ることに。派手な高い建物には“九華山地蔵庵”の文字。

▲ 九華山地蔵庵
地蔵菩薩を祀る寺院で、別棟の屋上で獅子らしき動物に腰をかけ黄金に輝くのは地蔵菩薩らしいが、日本のお地蔵様とは別人のよう。

▲ 屋上に地蔵菩薩
敷地内には屋根に龍の乗った、これぞ台湾という廟もあるが、先を急ぐので外観を撮っただけ。

▲ 九華山地蔵庵
帰り道で立ち寄りたかったのは、阿里山森林鉄道の車庫園区。かつてこの鉄道で活躍した保存車両を公開していて、2013年、2019年に続いて3回目の訪問だが、入口がわからない。園区の塀に沿って探していたら、端にある北門駅の踏切のところまで来てしまった。
北門駅は改修工事で閉鎖中だが、ちょうど嘉義から十字路を往復してきた阿里山号が、終着の嘉義から回送で北門に到着。推進運転で車庫園区に入庫のため、ディーゼル機関車を阿里山側に連結する作業中。もう1両、別の機関車が踏切近くにいた。

▲ 北門駅の列車
踏切から線路沿いに車庫園区に入って行くと、公開していない舞台裏を通り、ボロボロになった中興号のディーゼルカーを発見。

▲ ボロボロの中興号
もっと朽ち果てた中興号も側線に押し込まれている。

▲ もっと朽ち果てた車両もいた
車庫園区で綺麗に整備されて展示されている中興号はこれ。

▲ 整備されて保存されている中興号
キャブに三菱のプレートを付けた11403-1号は、シェイ型蒸気機関車で運行していた阿里山森林鉄路に1953年に最初に導入した第一世代のディーゼル機関車。当時の台湾にディーゼル機関車はなく、故障が多く山間部の運行には適さず、嘉義−竹崎間の平坦線で使用された。ロッド式の動輪3軸機だが、走行時の動揺の軽減のために前後に先輪を追加する改造を行い、軸配置が1C1になっている。
本機は、2010年には苗栗鐵道文物展示館展示されていたが、阿里山森林鉄路に里帰りしたようだ。

▲ 初期のディーゼル機関車11403-1
同時期にもう1両導入された11403-2号は、先輪を追加する改造は受けていないようだ。その後ろは、1970年代の光復号の客車と、今も使われている冷房付き固定窓の阿里山号の客車。

▲ 11403-2はオリジナルスタイル
さらに後ろには、台枠にトラス棒が付いたオープンデッキの客車が連結されている。車内はロングシートで、1980年代に山上の眠月線で乗った記憶がある。

▲ オープンデッキの客車
ボギーのフラットカー。これで檜を運んだのでしょうか。オープンデッキの客車の台枠と同じようにも見えるが。

▲ フラットカー
2気筒のシェ型蒸気機関車13号。この機関車は静態保存と思われる。

▲ 2気筒のシェイ13号機
ターンテーブルに乗るボギーの無蓋貨車。客車と同じイコライザー式の台車を履いている。旅客列車と同様に、貨物列車も阿里山に向かう時は最後部に機関車を連結して推進運転となるのか、前方監視員の乗務室が設けられている。

▲ ターンテーブルに乗る無蓋貨車
赤い KATOWORKS TOKYO の文字のある黒い2軸のディーゼル機関車は、加藤製作所の入れ替え機。その後ろの足回りが見えない2両のディーゼル機関車は、1976年と77年にドイツ、コッペル社から3両輸入。日中国交回復、日台国交断絶により、三菱重工製の機関車の輸入が途絶えた時期。それまでの日本製と運転方法が異なり、メンテナンスが複雑で困難なことから、日本車両製のディーゼル機関車が導入されると、わずか10年と少々の1989年に廃車に。

▲ ディーゼル機関車