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鯉魚山公園

鯉魚山公園は、日本統治時代に建てられた台東神社の跡地。本殿があった場所に建つのは、戦没した軍人の霊を祀る忠烈祠。

日本語のカラオケが聞こえてきた。2004年の訪問時にも、この場所で日本の戦前の歌謡曲が歌われていた記憶がある。忠烈祠の前で、日本人かと声をかけてきた初老の男性。戦前生まれの日本語世代ほど流暢ではないが、日本語を使いたかったらしい。

▲ 忠烈祠

屋外のカラオケグループの一員で、2004年にここで日本語の歌を聞いた話をしたら、世代交代をしながら今までずっと続いているとのこと。戦後に彼の父親は原住民相手の商売を始めたが中国語が通じず、双方の共通の言語だった日本語を常用していて、彼も日本語に興味を持ったのだとか。

カラオケの順番が来て、私の知らない日本語の演歌を歌い始めた。屋外のカラオケの前には龍鳳寺。

▲ 龍鳳寺

その横には、八角形で八層の塔。

▲ 龍鳳寺の塔

ここから見下ろす旧台東駅。向こうには太平洋。ナローゲージの時代は、まだこの先に台東海岸駅があったらしい。

▲ 旧台東駅構内

近くの空軍基地から中国機へのスクランブルか、戦闘機の轟音が鳴り響く。

▲ 戦闘機が発進

夕食は、鯉魚山公園から降りてきたところにあるこの店で。

▲ 客来吃楽

壁に貼った大きなメニュー。繁体の漢字と英語に加え、写真入りでわかりやすい。

▲ 壁にメニュー

店内は空いているが、テイクアウトの人が絶えることはない。店のイチオシは、大腸蚵仔麺線。昨日の昼の、台北の阿宗麺線と似ているが、どちらも美味。

▲ 大腸蚵仔麺線

メニューに“這是熱的”と貼り紙あったので、お勧めという意味かと思って黒糖桂圓緑豆算を追加注文したあと、翻訳アプリで確認したら“熱いです”。冷たいデザートではないという意味だったらしい。

▲ 黒糖桂圓緑豆算

帰りの台東駅行きのマイクロバスでも、乗客は私1人だけ。往路とは別のコースで、狭い街中をぐるぐる回ってから駅に向かう幹線道路へ。B&B最寄り停留所の台東棒球場で下車。

▲ 台東駅行きバス


莒光号で潮州へ

台湾3日目は、夜明け前にB&Bを出発。オーナーからは、チェックアウトの手続は要らないから、部屋の鍵だけ置いていってとのこと。

▲ 夜明け前のB&B

徒歩で10分ほどの台東駅。少し明るくなってきた。

▲ 夜明け前の台東駅

プラットホーム1に上がると、B側に乗車する6時10分発の潮州行き、722次莒光号が既に入線。ホームの向かい、A側にも莒光号が停車中。その後廃止されたが、2023年のこの段階で運行されていた、金曜運行の夜行の莒光号が終点の台東に着いたのかと思ったが、この日が金曜で夜行が着くのは日付が変わった土曜のはず。

行き先表示は7時20分発の林邊行きとなっていて、南廻線の終点の枋寮の先、中途半端な駅まで行く時刻表にない臨時列車のよう。

▲ 莒光号が並ぶ

まだ発車まで時間があるので、隣のホームに移動して722次莒光号の編成全体を撮ってみる。

▲ 潮州行722次莒光

何故か、機関車の次位に電源車を連結。E200型電気機関車は、客車への給電設備を持っているはずなのだが。

▲ 電源車を連結

電源車の後ろの6両は、全て引き戸になった自動扉の新型莒光号の客車。荷物車は連結していない。この莒光号は、南廻線の終点の枋寮までは全ての駅に停車する。

▲ 莒光号の最後尾

座席にテーブルがないものの、間隔は広くてフットレスト付き。リクライニングの角度も大きく、日本の国鉄時代のグリーン車なみ。前日の新自強号に比べ座り心地は良好。でも、指定された車両に乗客は私と若い女性の2人だけ。

▲ 乗客はほとんどいない

その後、発車間際に数名が駆け込んできたが、大半は2駅目の温泉のある知本で降りてしまった。知本を発車すると列車は海岸に出る。太平洋からの日の出。

▲ 太平洋の日の出

一旦内陸に入った次の太麻里で1人が降りると、乗客は再びもとの2人だけに戻る。

▲ 太麻里駅

この先はトンネルと海を眺める絶景が繰り返し現れ、

▲ 金崙−瀧溪間で道路より一段高い海岸線を行く

大武を発車すると山に分け入っていく。

▲ 大武で太平洋とお別れ

台湾の背骨を長大トンネルを抜け、次のトンネルの先のトンネル間にわずかに開けた山中にある枋野信号所で停車。職員が勤務しているが、ホームはなく乗降はできない 。

▲ 枋野信号場

さらにトンネルを抜けると台湾の西側に回り込み、台湾海峡が見えてくる。南廻線は台鉄一の絶景路線。

▲ 台湾海峡が見えてきた

秘境駅の枋山に停車。乗降はない。この先の內獅と加祿も含め、この3駅は1日に停車する列車が順行、逆行それぞれ2本ずつのみ。それにしては立派な駅舎。

▲ 枋山駅

車窓から見下ろす海辺の枋山郷の集落。ここへ行くのに、山の中腹にある枋山駅を利用する人はいないでしょう。

▲ 枋山郷

湾の向こうは台湾最南端に続く恒春方面が見えている。次の內獅で南廻線から分岐して、この海岸沿いに南へ恒春、さらには台湾最南端の鵝鑾鼻まで、台鉄の新線が計画されているらしい。

▲ 湾の向こうに恒春方面を望む

海沿いに椰子の木。手前は赤いシャキシャキとしたほのかな甘みのある果物、レンブ(蓮霧)の木と思われる。

▲ 椰子とレンブの木

內獅駅は、海側に新しいホームをつくって片面1線になっている。駅舎との間にも何本もの線路の跡があり、古いホームはそのまま放置されている。恒春に向かう線が分岐するようになれば大きく変わるのでは。

▲ 片面1線だけの內獅駅

次の加祿駅はホームが2面4線で、駅舎とホーム間の地下道にはエレベータも設置されていて、停車する列車が順行と逆行が1日2本ずつ、計4本だけが信じられない立派な駅。內獅とともに、幹線道路が並行しているので利用客がいないのでしょう。東海岸の太麻里からここまで、乗車していた号車には乗降客は無し。でも、秘境駅にふさわしいのは枋山だけだった。

▲ 加祿駅

南廻線は次の枋寮まで。その先は屏東線へ、時刻表に掲載されている定期列車は全て直通し、大規模な車両基地のある潮州までが実質的な南廻線で、その先の高雄方面は西部幹線と一体の運用になっている。数人が乗車してきた枋寮を出ると、各駅停車の電車、区間車の運行区間に入り、莒光号は通過する駅もある。

ウナギの養殖か、車窓の池の中で水車が回っている。

▲ 養殖池で水車が回る

区間車だけの停車駅、佳冬で運転停車。普悠瑪号と交換かと思ったら、向こうも停車。しばらくすると、新自強号が普悠瑪号を追い抜いて行った。普悠瑪号は回送列車だったらしい。

▲ 普悠瑪号と交換

静かな水面に椰子の影。東南アジア、タイの車窓を見ているよう。

▲ 南国の車窓

最速の新自強号なら半分の1時間20分で走破する台東から潮州まで、2時間40分をかけた莒光号の旅が終わった。これで莒光号の乗り納めになるかもしれない。ちなみに、2023年の乗車時に2往復あった南廻線の莒光号のうち、乗車したこの列車は既に電車で運行する区間快に置き換えられ、2025年7月の改正のダイヤでは荷物車を連結する1往復が残るのみ。

▲ 潮州に到着した莒光号

※ 次回は潮州を観光、潮州鉄道文化園区を訪問後に高雄に向かいます。