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月尾海駅に戻る

月尾海列車で月尾島を一周し、月尾海駅に戻ってきた。所要時間40分程、途中駅に下車しないで乗り通してしまった。

▲ 乗客が降りた後の車内

下車ホームに到着して乗客を降ろした車両は、トラバーサのように線路に乗ったまま横移動し、

▲ トラバーサで乗車ホームに移動

乗車ホームに横付けして、次の乗客を迎える。

▲ 線路がつながった

ビルの3階にある、月尾海駅から見下ろす隣接する京仁線のホーム。

▲ 月尾海駅から見た仁川駅


清の租界だった仁川中華街

月尾海駅から見た仁川市街地。中華門の向こうの小山の紅葉した木々は、仁川自由公園。

▲ 月尾海駅から見た仁川市街地

中華門をくぐった先は、急な上り坂。ここは、18世紀末から始まった中国人の朝鮮移住に伴い、清国の租界・居留地が設定されたところ。

▲ 中華門

赤い華やかな中国式の飾りつけのある建物が立ち並ぶ周辺は、仁川の中華街として発展。

▲ 中華街

サンザシ飴も売っている。一部に漢字の看板もあるが、大半はハングルで読めない。

▲ サンザシ飴も売っている

中華街の一角にある、中国式庭園の韓中園。

▲ 韓中園

▲ 中国式庭園

坂道の途中に建つ華僑の学校。

▲ 華僑学校

学校にはためくのは、中華人民共和国の五星紅旗ではなく、中華民国(台湾)の青天白日旗。歴史的に見れば、華僑のルーツは清と、辛亥革命で清朝を倒して成立した中華民国なので当然か。

▲ 台湾の青天白日旗

華僑学校の裏側には三国志の資料館が設けられ、

▲ 三国志

三国志壁面通りに面した学校の壁には、三国志の場面が描かれている。

▲ 三国志壁面通り

清の租界の隣には、日本の租界もあった。その境界の階段に並ぶ灯籠の、角ばった中国式と丸い日本式の対比が面白い。                                                                                                                                                       

▲ 清(左)と日本(右)の灯籠

階段を登ったところから見下ろす、黄葉の向こうに仁川港。

▲ 階段の上から仁川港が見える

階段の上に立つ孔子像は、中韓国交回復後に中国から贈られたものらしい。

▲ 孔子の像

 

日本租界だった仁川旧日本人街

清の租界に隣接する、日本租界があった旧日本人街。こちらは比較的平坦な土地。

▲ 旧日本人街

屋根に瓦を乗せた、日本家屋風の街並みを売りにしているようだが、朝鮮戦争で木造家屋は焼失していて、日本人の目から見ると、なんちゃって日本家屋。中華街に比べると旧日本人街の人通りは少ない。

▲ 旧日本人街

その中心に建つのが、旧日本領事館を改築した中区庁舎。壁面にはSLのモニュメント。仁川が韓国の鉄道発祥の地と主張しているよう。

▲ 中区庁舎前のSLのモニュメント

その横では、この周辺の旧日本人街で保存されている、戦前からの伝統的建造物を、写真などで紹介している。

▲ 伝統的建造物の写真

順番に見ていくことに。まずは、韓流映像コンテンツ館になっている、赤煉瓦の旧川端倉庫。

▲ 旧川端倉庫

仁川開港博物館になっている、旧第一銀行仁川支店。

▲ 旧第一銀行

旧第五十八銀行仁川支店だった建物は、仁川中区料食業組合が使用しているらしい。

▲ 旧第五十八銀行

仁川開港場近代建築展示館は、旧第十八銀行仁川支店。

▲ 旧第十八銀行

仁川アートプラットフォーム資料室になった、旧日本郵船仁川支店。

▲ 旧日本郵船

周辺には、黄葉した銀杏並木が続く。

▲ 黄葉の銀杏並木

 

仁川自由公園

月尾海駅から見えていた、中華街の背後の小山にある仁川自由公園に行ってみることに。飲食店に挟まれたこの階段を上っていくと、

▲ 中華街から階段

十二支の石像が立ち並ぶ先に“善鄰門”と書かれた中華風の門があり、そこをくぐって公園内に。

▲ 善鄰門

園内には桜の木が多く、春は花見の名所なのかも。登り詰めると展望台に至るらしいが、秋の日が落ちて足元が暗くなってきたので途中から引き返すことに。

▲ 仁川自由公園

人気のなくなった階段。こんなメルヘンチックな絵が描かれている。

▲ 夕暮れの階段