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永登浦駅から花郎台鉄道公園

韓国2日目は、朝からITXセマウル号で大田に向かうため永登浦駅へ。駅構内では、三脚に大きなカメラをセットしてテレビクルーが取材中。乗車前に、前日に行先を間違えて発券されてしまった2日後の切符の変更に出札窓口へ。英語でのやりとりだが、切符は新規に買いなおすとともに、前日の間違った切符は手数料なしで払い戻して、後日クレジットカードに入金するとのこと。対応は丁寧。

ITXセマウル号の発車するホームに向かったら、階段の入口がテープでふさがれている。駅員が韓国語で声をかけてきたのでスマホを取り出し、翻訳アプリを立ち上げようとしたら日本人と分かったようで、事務室に戻って日本語の話せる駅員を連れてきた。なかなか親切な対応。この駅員が言うには事故で運行を停止しており、再開は夕刻になる見込み。代替の交通手段については、広域電鉄1号線が動いているのでソウル駅まで行って確認してほしいとのこと。テレビクルーはこの取材だったのか。

▲ 永登浦駅にテレビ取材が来ていた

大田往復は諦めることにして出札窓口に戻り、この日の往きのITXセマウルと帰りのKTX-山川の切符を払い戻し。午後にソウルに戻ってから予定にしていた、花郎台鉄道公園に向かうことに。

満員の1号線の車内で“韓国鉄道事故”で検索したら日本の Yahoo! ニュースがヒット。前夜にソウル方面から到着したムグンファ号が永登浦駅の手前で脱線事故を起こし、けが人には日本人の乗客も含まれているのだとか。エッ、こんな近いところで。

永登浦駅は、KTX京釜線と在来線の京釜線の共用区間にあるため両線とも運行を停止しているが、JRならすぐ横を並行する広域電鉄1号線も止めるのでは。

▲ 広域電鉄1号線は動いている

ソウルの首都圏電鉄を構成する各社の路線は、東京の地下鉄並みかそれ以上に複雑。でも、これらを網羅するスマホの地下鉄アプリを使って路線図上で乗車駅と下車駅を選べば、経路と電車の時刻に運賃が表示され、あとはそれに従うだけ。韓国鉄道公社や空港鉄道の他にメトロの運行会社も何社あるのかよくわからないが、日本やタイ、マレーシア等のように会社ごとに初乗り運賃がかかる割高なやり方ではなく、どの会社の経路でも運賃計算は同じルールで通算する方式。会社間の運賃清算のために乗客の経路を確認する必要があるのか、乗り換えの通路に改札機が設置されている場合があるが、通るときにT-monyカードをタッチしても、ここで運賃を差し引かれることはない。

ソウル市の南西から北東へ、相互乗り入れ先のメトロ1号線から6号線に乗り継ぎ、1時間ほどかけて花郎台で下車。地上に出ると、線路が残る廃線跡を整備した紅葉の遊歩道が続いている。ところで NOWON って何だろう? 調べてみると、ソウル市蘆原(ノウォン)区、この場所の地名らしい。

▲ 京春線森の道

線路あとと並行する幹線道路を行き交う路線バスは、圧縮天然ガス(CNG)や電気自動車(EV)の環境対応車が多い。

▲ バスの多くはCNG車とEV

この遊歩道は、京春線の複線電化時に線路を移設して2010年に広域電鉄に移行した跡地を遊歩道に転用した京春線森の道。単線の線路はそのまま残っているが、幹線道路との踏切だった部分だけは、警報機だけを残して線路は途切れている。

▲ 踏切だった部分は線路を撤去

踏切の先は、京春線の花郎台駅だったところ。

▲ 韓英中日の4ヶ国語の看板

2018年に、駅の構内を花郎台鉄道公園として整備し、車両が静態保存されている。線路わきには多くのLEDの電飾が設置してあるので、夜は華やかになるのかもしれない。

▲ 花郎台鉄道公園

小さなSLと2軸客車を配置した丸いモニュメントは、こんなふうに写真を撮るために設置したのかな。

▲ 車両を入れて撮るのかな

 

花郎台鉄道公園の保存展示車両

それでは、花郎台鉄道公園の保存展示車両を見ていきましょう。まず最初は軌間762mmの狭軌の蒸気機関車が牽く客車列車。ソウルの南にある水原と驪州間の水驪線(1972年廃止)や、水原と仁川を結んだ水仁線(1994年廃止)で運行していた列車らしい。京春線は標準軌で、花郎台駅は狭軌には縁がないが、これらの車両を置く部分にだけ762mm幅の線路を敷設したのでしょう。

▲ 狭軌線の列車

蒸気機関車には韓英日中4か国語の説明書きがあり、1951年の日本製タンク機で軸配置は1C1。韓国鉄道庁釜山工場で組み立てたとのこと。

▲ タンク式蒸気機関車

2両の客車は説明書きが無く詳細は不明。低いホームに対応したステップが埋められていて、雨樋の角に監視カメラを取り付けている。車内は公開しているようだが月曜日は休業日なのか、この日は扉に鍵がかけられていた。                                                                                                                                                       

▲ 2両のボギー客車

客車の履いている台車は、機械式気動車のような菱枠型で軸受はローラーベアリング。その前に下がるのは、トイレの垂れ流し管の先端部が腐食か損傷して無くなっているのか。

いたずら防止のためか、車体には“監視カメラ運転中”の張り紙。

▲ 菱枠式の台車と車体の張り紙

窓から覗くと、車内は板張りの狭いボックスシート。1.5人がけのように座席の幅が狭く、向かい合わせの間隔も異常に狭くて窓割りと一致していない。義王の鉄道博物館で保存されている狭軌の客車や気動車がいずれもロングシートであることからみて、あとからテキトーな座席を作って取り付けたのかもしれない。

▲ 車内の座席は何だか変

近くには、開業時のソウル市電の原寸大復元模型。米国から技術導入した、サンフランシスコのケーブルカーのような前後がオープンデッキで、車外に掴み棒のある2軸の木造電車。

▲ ソウルの路面電車

ケーブルカーのグリップマンのように、レバーとペダルを操作する運転士の人形が乗車しているが、これが制御器とブレーキなのか。新型コロナ対策のマスク姿はご愛敬。

▲ 運転士が乗車

中央部の密閉式の客室はロングシート。オープンデッキにベンチもあるが、厳冬期のソウルでこの場所は寒かったのでは。

▲ 中央の密閉室にロングシート

集電はトロリーポールだが、テキトーに作ったのか先端のホイールが異常に小さい。

▲ ポール集電

床下を覗いてみるとモーターは装備されてなく、台車の構造も忠実に再現しているのか甚だ疑問。

▲ この台車はちょっとね

その向こうには旧共産圏の標準型、チェコスロバキア製の路面電車タトラカーT-3。架線がないのでパンタグラフが高く伸びきっている。ソウルに来た経緯はわからないが、この車両は本物。同型のプラハ市電の中古車が北緯38度線の向こう側、北朝鮮の平壌では現役で活躍中。

正面窓下に書かれたチェコ語を Google で翻訳すると、“蘆原は今日も幸せ、明日も楽しみです”。その下のハングルは、“今日が幸せで明日が期待される”と、同じことが書いてあるが、チェコとは無関係。

▲ チェコのタトラカー T3

タトラカーの後部はこんなデザイン。片運転台で、進行右側にだけ前、中、後の3ヶ所に4枚折戸の乗降扉。真ん中だけ折戸を開いた状態にして、その外側に引き戸を設置。ここから出入りするのでしょう。線路も途切れているので、この車両が動くことはなさそう。

▲ 中央の扉を改造

車内は座席を撤去し、床をフローリング張りにして本棚が並ぶ。図書室になっているようだが、月曜は休室らしい。

▲ 車内は図書室

花郎台駅のホームは1面2線。ホームの片側は MEDIA TRAIN と書いたガラスパネルでふさがれ、その手前の時計は後から設置したもののよう。

▲ 時計や装飾

構内の樹木には、何やら派手な装飾。

▲ 樹木にも派手な飾り付け

三角屋根の駅舎が残り、内部に展示物があるようだが月曜は休館。

▲ 花郎台駅舎

駅舎の向かいには、陸軍士官学校の門。士官学校の愛称が“花郎台”で、それが駅名になったとか。軍の施設をこっそり撮ってみた。

▲ 陸軍士官学校

ホームの先端には、広島電鉄900型、もと大阪市電2600型が停まっている。ソウル側の方向幕は、1系統の紙屋町・市役所経由宇品二丁目行き。メトロの花郎台駅と鉄道公園間の観客輸送に旧京春線の線路上を走らせるため、開園時の2018年にソウル市電によく似たもと大阪市電を導入したらしい。架線はないが踏切部分の線路を復活させ、京都梅小路のN電のようにバッテリーを搭載すれば、電化しなくても平坦な短距離路線の運行は容易でしょう。

▲ 広島電鉄のもと大阪市電

1950年代に大阪市電に数型式の納入実績のある滋賀の富士車両(宇都宮の富士重工ではない)が、2600型とほぼ同形態の2200型を製造していて、同社が1963年にソウル市電に輸出した500型の設計に反映したものと推測。

車内に床置きのエアコン、窓の一部に遮光カーテンが取り付けられた以外、座席や方向幕等も広島のまま。

▲ 車内に床置きのエアコン

ホーム側の中扉の外側に開き戸を設置して二重にしているのは、厳冬期の車内保温のためか。

▲ 1系統 紙屋町経由の宇品二丁目行

春川側は“広島港(宇品)”行。電力供給ケーブルらしきものが床下から車内につながっている。訪問時点で、導入から既に4年を経てもホームに停車したまま。運行計画は頓挫したのかも。

▲ こちらの面は広島港行

ホームの向かい側には、日本車両製で1952年に入線したミカ5型蒸気機関車56号機。D51と同じ1D1の軸配置だが、大陸サイズで車体も出力も大きく、京釜線がディーゼル化された1967年まで貨物列車を牽引。

▲ ミカ5型56号機

キャブの内部にも立ち入れる。

▲ キャブの内部

テンダを切り離してキャブとの間をあけ、その間に3枚の写真パネル。左からテンダ(炭水車)、蒸気機関車全般(写真は戦後の混乱期か)、ミカド型蒸気機関車の説明。

▲ 蒸気機関車の説明パネル

キャブとテンダの間には木製の床を張って歩けるようにし、テンダにも立ち入れるようになっている。

▲ テンダまで床を張っている

蒸気機関車の後ろには、かつてはこの駅に発着していたと思われるムグンファ号の客車が5両。ドアの横に立っているのは、列車で出発する時間旅行“タイムミュージアム”の看板。車内が博物館になっているらしい。                                                                                                                                                   

看板の説明を日本語に訳すと、“時間の誕生からアインシュタインの時間芸術で昇華させた中世の時間、現代作家の目で眺めた時間など、「時間(Time)」をテーマにした面白くてユニークな展示空間です”。車内に何があるのかよくわからないが、“営業時間毎日10時から19時、月曜休館”でこの日はお休み。

▲ ムグンファ号の客車内はタイムミュージアム

ホームの片側に建つガラス張りの構造物。

▲ ホームの片面はガラス張り

その両端には運転室のようなものが。

▲ 先端部分は運転席を模している

花郎台駅から先へ、線路跡の京春線森道はまだ続いている。

▲ 花郎台駅から先に続く廃線跡