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徳壽宮からソウル歴史博物館のソウル市電

ソウル広場に面した韓国五大王宮の一つ、徳壽宮の正門にあたる大漢門前の銀杏は、緑の木と黄葉の木が対照的。

▲ 徳壽宮前の銀杏

徳壽宮の外壁に沿った小径、徳壽宮トルダムキルは紅葉の名所。“トルダムキル”は“石垣通り”という意味らしく、街路樹に加えて徳壽宮内の木々も紅葉しているが、夕暮れが迫っているため写真の発色はイマイチ。

▲ 徳壽宮トルダムキル

国立劇場の看板の前に立つのは、世界各国からの来客に向けてのあいさつ文でしょうか。

▲ 世界の挨拶

銀杏並木の黄葉のトンネルを抜けた先にあるのが、

▲ 銀杏並木の紅葉のトンネル

ソウル歴史博物館の前に保存され、街灯に照らされてたたずむソウル市電381号。前回の訪問から8年経過し、雨ざらしのため車体の錆や塗装の退色が気になるが、1960年代のソウルの情景か、“おーい、弁当忘れたよ”と子供をおぶった母親が外から呼びかけ、車内で学生服の息子が頭をかく人形とともに健在。前回の昼間に訪問した時は、博物館の係員が常駐して車内が公開されていた。

▲ “おーい、弁当忘れているよ”

ソウル市電は日本初の電車、京都電気鉄道の開通から4年後、大韓帝国時代の1899年に軌間1067mmの狭軌で開業。この300型は、日本統治時代の1930年頃から内地の日本車両等で100両が製造され、戦後の韓国でも主力として活躍した型式。

▲ 381号は戦前の日本製

大型3扉車で正面は名古屋市電1300型に似ているが、側面は二段窓でより近代的。1963年には富士車両製の新車500型を輸入し、これの配置に合わせたのか、300型も後部扉を締め切り、中央の両開き扉を窓一組分後方に移設して片開とした、非対称2扉車に改造された姿で現存。新車導入からわずか5年後の1968年に、日本の大都市より一足先にソウル市電は全廃されたとか。

ソウル歴史博物館は既に閉館時間を過ぎていて、見学はまた次の機会に。

▲ ソウル歴史博物館


光化門広場から清渓川

ソウル歴史博物館の前の大通りの新門内路に立ち、右手に持つハンマーを打ち続けている身長22mの大男。いわれはわからないが、同じハンマリングマンをドイツのフランクフルトでも見かけた。

▲ 巨大なハンマリングマン

新門内路と世宗大路が交わる光化門交差点の角に建つ称慶記念碑。李氏朝鮮の第26代国王、高宋の在位40年に当たる1902年に、李朝が国名を大韓帝国と改め、初めて皇帝の称号を使用したことを記念するために建てられたのだとか。

▲ 称慶記念碑

交差点から景福宮の光化門に向かって、縦に長い光化門広場。ライトアップされ、日本刀のようなものを持って立つのは、“忠武公李舜臣”(と漢字で書いてあるから読める)像。豊臣秀吉の朝鮮出兵、文禄・慶長の役で戦った、韓国救国の英雄。

▲ 忠武公李舜臣像

その後方の座像。台座のハングルにスマホをかざせば、GoogleLens が“世宗大王”と教えてくれる。15世紀にハングルの制定を行った、李氏朝鮮の第4代国王。後方は朝鮮王朝の王宮、景福宮の光化門。                                                                                                                                                       

▲ 世宗大王像

光化門交差点のすぐ先に清渓広場。そこに立つ高さ20mの巨大な巻貝。名前は“Spring”。“春”ではなく、その形状からして“バネ”なのだそうで。

▲ 巻貝型のオブジェ

バネの内部はライトアップ。2006年に高架道路を撤去して、清渓川を復元した工事の完成を記念して建てたのだとか。

▲ 巻貝型の“バネ”

この箇所の滝から始まる清渓川。東京の日本橋もこれにならってか、首都高の地下化を進めることに。

▲ 清渓川のスタート地点

清渓川の滝のライトアップ。

▲ 清渓川の滝

川沿いに、両岸には遊歩道が整備され、橋の下は虹色に。

▲ 清渓川のライトアップ

流れの中に飛び石が置かれ、清渓川は都心のオアシス。

▲ 清渓川の飛び石


コロナ禍による明洞の惨状

清渓川の散策後は明洞へ。中国人や日本人観光客で賑わったソウル一の繁華街も、2022年の秋段階では、鎖国は解けたがコロナ禍の痛手から回復しておらず、空き店舗が目立つ。表通りには露店も出てそれなりの人通りは戻ってきているものの、

▲ 明洞の表通りには人通りがあるが

一歩横道に入ると、そこはゴーストタウン。いつもソウルに来るとビビンバを食べに行っていた、日本語の通じる全州中央会館を訪れたら、何と閉店していた。

▲ 明洞の裏通りはゴーストタウン

それならと、こちらも日本語OKの百済参鶏湯に行ってみたら、二階の店は何とか生き残っていたが、その上下階の店舗はもぬけの殻で真っ暗。

▲ このビルで営業しているのは二階の百済参鶏湯だけ

午後7時過ぎに、かつては外国人観光客で賑わっていた店内に、英語を話すアジア系の客が1組だけ。あとで日本人の家族連れが入って来たが、外国人観光客相手の商売の浮き沈みの激しさを痛感した次第。

▲ 初日の夕食はサムゲタンで

メトロ4号線から広域電鉄1号線に乗り継いで、永登浦のホテルへ。