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トレド旧市街散策

再びGoogleMapを頼りに、起伏の激しい石畳のトレド旧市街の散策です。

▲ トレドは石畳の坂道

市庁舎広場から坂道を下ってきたところが、コンデ広場。

▲ コンデ広場

広場に面して建つのは、パラシオ・デ・フエンサリダ。15世紀のフエンサリダ宮殿。カスティーリャ・ラ・マンチャ政府の本部らしい。

パラシオ・デ・フエンサリダ

近くには中世のような剣や盾、鎧を扱う店があり、

▲ ショーウインドウに物騒な物が

高くそびえるイスラムふうの石造りは、サント・トメ教会の鐘楼。

サント・トメ教会の塔

そこからさらに坂道を下ると、中世にはユダヤ人地区だったところ。歩道に立つ生首の台座にはサミュエル・ハレヴィの文字。調べてみると14世紀のカスティーリャ王の財務官で、ユダヤ教の教会エル・トランシトのシナゴーグの創設者らしい。

 ▲ サミュエル・ハレヴィの像

彼の視線の先にあるのが、エル・トランシトのシナゴーグ。15世紀末にスペインからユダヤ人が追放されてからは、カトリックの教会になったらしい。

エル・トランシトのシナゴーグ

サミュエル・ハレヴィの像のすぐ横には、16世紀末から17世紀初頭にトレドに暮らしたギリシャ人の画家、エル・グレコの美術館。

▲ エル・グレコの美術館

美術館の前には、こんなモニュメントのようなものが。

▲ エル・グレコの美術館の前

美術館はエル・グレコが住んでいた家を改装したものといわれている。

▲ 美術館はエル・グレコの家

▲ 美術館の中庭

シナゴーグの先には、サン・フアン・デ・ロス・レージェス修道院。15世紀後半にポルトガルとの戦争に勝利したことを記念して建てたとか。

修道院の内部と回廊は360度のバーチャルツアーで、こちらからご覧ください

▲ サン・フアン・デ・ロス・レージェス修道院

修道院前の広場の向こうの城壁には、旧市街から北側に抜けるカンブロン門。昔はプエルタ・デ・ロス・ジュディオス、ユダヤ人の門とも呼ばれていたのだとか。

▲ カンブロン門
 


高速バスでマドリードへ

高台に位置する旧市街からカンブロン門を抜けると、眼下にはるか遠くまで広がるトレドの郊外。

▲ トレドの郊外

祝日のためか、マドリードへの帰りの高速列車AVANTは夜まで満席のため、頻発している高速バスにすることに。歩き疲れたので、路線バスに乗って高速バスターミナルの近くまで。

トレドバスターミナルから1時間弱、高速バスが着くのは、エリプティカ広場バスターミナル。鉄道より時間はかかるが、運賃は半額以下で、本数はバスの方が圧倒的に多く待たずに乗れた。

▲ マドリードのエリプティカ広場バスターミナルに到着

エリプティカ広場からメトロ6号線と3号線を乗り継ぎ、マドリードの中心ソルへ。

▲ メトロ6号線
 


ソルで最後の晩餐

夕食は、プエルタ・デル・ソルのシーフードレストランへ。

▲ シーフードレストラン

昔に比べれば、ずいぶん英語が通じるようになったと思うけど、首都の中心部でも英語が通じないレストランがあるのがスペイン。

▲ ワインと生ハム

こういう時は、スマホの音声翻訳アプリが大活躍。

▲ タコの足が大きい

パエリアを注文しようとしたら、今日はできないとのこと。代わりになる米を使った料理を聞いてみたら、店のメニューにないこんなリゾットのようなものを用意してくれた。

▲ シーフードリゾット

ソルのデパート、エル・コルテ・イングレスで買い物の後、メトロ2号線と6号線を乗り継いで、アヴェニダ・デル・アメリカ、アメリカ通りのバスターミナルへ。メトロや市内バスのICカードが使えない、郊外バスに乗り換えてホテルへ。

▲ メトロ6号線

マドリードのメトロは国鉄 renfe より小型の車両だが、3扉と4扉車があり各線ごとにいろんな車種で運行している。クルマや renfe の右側通行に対して、何故か左側通行。


セルカニアスのサン・フェルナンド駅

スペイン6日目はもう最終日。郊外に位置するホテルのチェックアウトは正午まで、午後から空港に向かうことに。この日は平日なので、ホテルの最寄り、5分ほど所にある停留所にもバスが来るので、午前中にチュロスでも食べに都心に出ようかと思っていたけど、前日にバスとメトロを乗り継いで余りに遠かったので諦めることに。

ちなみにそのバス停は、建築途中で放棄され、落書きだらけで、夜は肝試しに使えそうな廃墟の前。昼間でも、こんなところでバスを待ちたくはない雰囲気。

バス停の横を抜け、空き地に点在する工場や倉庫の間を歩くこと20分の、国電セルカニアスのサンフェルナンド駅まで行ってみることに。事前にストリートビューで見たときは歩きたくない道と感じだが、昼間は治安の問題は少なそう。

▲ こんな廃墟の前にバス停

電車はサン・フェルナンドからアトーチャまで直通で、乗り換えればさらに1駅でソルまで行けるので、このコースなら限られた時間で都心を往復できたかも。

駅舎内で券売機と自動改札機の写真を撮ったら、駅員なのか警備員なのか中年女性が怖い顔で声をかけてきた。スマホの翻訳アプリを立ち上げたが、早口でまくし立てるためかうまく拾えない。言葉が通じないのがわかって、英語の話せる駅員を連れてきた。写真を撮ってはいけない、消せ!とのこと。

▲ サン・フェルナンド駅

スペインやイタリアでは鉄道撮影禁止の昔の法律が今も生きているという話を聞いたことがある気がするが、5回目のスペインで初めて遭遇。先日のサンセバスチャン駅、前日のアトーチャ駅やトレド駅では、駅員の前でいくらでも写真が撮れたけど。

消せと言われたのは、サン・フェルナンド駅舎内の1枚だけ。外から駅舎内を写した上の写真や、駅の近くで撮った列車の写真は消せとは言われなかった。

▲ 近郊電車セルカニアス

サン・フェルナンド駅周辺は複々線なっているように見えるが、列車の進行方向や信号機を見ると、どちらの方向にも走行できる単線4線並列なのかも。

▲ 新旧セルカニアス

金網のを通して頻繁に行き交う列車を見ると、角張った旧型セルカニアスS446型が主体で、丸い新型のセルカニアスS465型も。中距離列車、メディアディスタンシアのS599型ディーゼルカーがホームのない線路を通過。

メディアディスタンシアのS599型
 


バラハス空港からドーハ乗り継ぎで成田へ

空港に向かうバスで、添乗員から○○さんがコロナ感染のため残られることになったとの報告。この2日前には既に発熱していたようなので、日本から持ち込んだか現地到着後の感染か微妙なところ。ホテルに残って延長滞在し、現地エージェントがサポートするのだとか。バスの中では全員マスクをしていたので、濃厚接触者には該当しないと思われるが。コロナ以外にもホテルの立地のこともあり、次回からはまた個人旅行に戻そうかな。

船底をイメージした空港

マドリードバラハス国際空港から、カタール航空で乗り継ぎのドーハへ。融通がきかないといわれる団体包括チケットだが、この区間は48時間前のウエブチェックイン時に通路側に変更できた。このとき動かせなかったドーハ−成田間の変更をチェックイン時に依頼したが、ドーハでの乗り継ぎ時に申し出てほしいとのこと。

▲ バラハス空港のカタール航空

往路もそうだったけど、コロナの蔓延で3年10ヶ月も遠ざかざるを得なかった機内食は、エコノミーでも嬉しいもの。

▲ マドリード-ドーハ便の機内食

▲ マドリード-ドーハ便の機内食

ドーハ到着前には、往路と同じパイが出てきた。

▲ パイとワインの軽食

深夜のドーハで、照明と一体化した黄色い熊さんに再会。成田便の搭乗口で交渉したら、通路側の空席が開放されたのか、変更してくれた。

ドーハ空港の熊さん

ドーハ時間で午前3時頃の機内食。成田便は一番搾りを積んでいる。

▲ ドーハ-成田便の機内食

成田到着前に、2回目の機内食。

南回りは遠くて時間がかかる。ロシアの上を飛べなくなり、北極回りも所要時間が伸びたので、ハンディは縮小したが。

こうして18名+添乗員のパックツアーは、コロナ感染の1名をマドリードに残して帰国。

2022年10月段階では、帰国便搭乗72時間以内のPCR検査陰性証明は、コロナワクチン接種3回を条件に不要となっていたが、入国に当たってスマホに入国者健康居所確認アプリ“MySOS”は必須だった。

アプリに氏名や生年月日、パスポート番号を登録。検疫手続事前登録として、滞在国や到着便名と座席番号に発熱の有無、メルアドや電話番号などの質問事項に答え、ワクチン接種証明をアップロード。検疫の事前チェックが終わり画面が赤から緑に変われば、成田入国時にファストパスが使えるように。

▲ この時は入国に必須のMy SOSアプリ

翌11月から、日本入国時の手続は“Visit Japan Web”に切り替わったので、“MySOS”に時間をかけて登録した個人情報等も使ったのは1回だけ。あとから思えば、“コロナでそんなこともあったね”という思い出のためにスクリーンショットを残しておきましょう。


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