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ナポリ経由でポンペイへ

ローマからナポリまで、当時としては一番速いインターシティーに乗ります。ローマテルミニが始発ですが、列車は混雑しています。前日にテルミニ駅の長蛇の列に40分も並んでやっと手に入れた指定券の席に行けば、私たちの名前の書かれた紙が差し込まれています。先に座っている人がいましたが、指定券を示して替わってもらいました。

ナポリからポンペイまで、国鉄でも行けるのですが、本数が多くて駅が遺跡に近い私鉄のヴェスヴィオ周遊鉄道に乗り換えることにします。始発の次の駅が国鉄との接続駅で、乗り場はナポリ中央駅の地下にあります。ナローゲージの小さな電車で、3車体連接車を2本併結しています。

     
ローマテルミニ発ナポリ中央駅行きのインターシティー       ヴェスヴィオ周遊鉄道の小さな電車

実は、この電車でポンペイに行くのが結構大変でした。詳しくは、下の“旅のヒント”をお読みください。また、最近は良くなったようですが、当時のナポリとその周辺の治安にはかなりの問題がありました。この電車、窓ガラスが割れたままで走っていたり、怪しげな連中が乗っていたりで、駅でも車内でもカメラを取り出して写真を撮れる雰囲気ではありませんでした。でも、今 のような電車への落書きはまだありませんでした。

     
ポンペイの大通りからヴェスヴィオ火山を望む       遺跡の中の中庭のある家

ポンペイは、紀元79年のヴェスヴィオ火山の大噴火により発生した火砕流により、一瞬にして火山灰の下に埋もれてしまった街です。でもそのことが、 古代都市や人々の営みがタイムカプセルに封じ込まれ、18世紀に発掘が始まると1800年の時を経て現代によみがえることになるのです。

ところで、ヴェスヴィオ周遊鉄道 その名に反して地元客ばかりで、観光客がほとんど乗っていないと思ったら、遺跡のすぐそばに高速の出口があり、みんな観光バスで来るんですね。ポンペイへは、よほどの電車好きでなければ、ガイドが効率よく見所を案内してくれるパックツアーの方をお勧めします。

 


ナポリ市電

再びヴェスヴィオ周遊鉄道の電車に乗り、ナポリ中央駅に戻ります。街中に出る市電に乗るため、駅の売店で切符を買って駅前広場の向こうにある市電乗り場に向かいま す。 オレンジ色で車体の前後を絞ったナポリの市電は、集電装置に古風なトロリーポールを使用しています。最近は低床の連接車も導入され、これにあわせて架線を改良したのでしょう、旧型車もシングルアームのパンタグラフになったようです。

集電装置がトロリーポールのナポリ市電 ナポリ旧市街の市電

当時は、その駅前広場の雰囲気の悪いこと。昼間から職にあぶれた目つきの鋭い男がうろつき、カモをねらっている様子です。とても、カバンからカメラなど取り出す勇気はありません。市電乗り場にも変な輩がうろうろしています。電車が来て後部の乗車口から乗り、刻印機に切符を通していると 、後から乗ってきた男がポケットの財布をねらって手を入れてきます。その手を振り払い、すばやく前方へ行って運転士の横に立っていたらそれ以上は追ってきませんでした。

海岸通りのヌオーヴォ城前の市電 ナポリ湾を背にオレンジの市電がいく

ナポリ中央駅は市の東にあり、南に向かう1番の市電がナポリ湾に沿った海岸通りに出会うと西に向きを変え海沿いを走ります。ヌオーヴォ城が見えてきたのでこのあたりで降りようかと思っていたらトンネルに入 ってしまいました。抜けた先のマルティーリ広場のあたりで、周囲を見回し治安にあまり問題はないだろうと判断して下車しました。

 


ナポリの中心部

トンネルは電車専用なので適当な道を戻ると、ウンベルトI世のガッレリアがありました。写真ではミラノのヴィットリオ・エマヌエーレII世のガッレリアと同じように見えていますが、イタリア北部のミラノと南部のナポリの格差は歴然としており、こちらはうらぶれた感じでした。

ウンベルトI世のガッレリア 4本の塔を持つヌオーヴォ城

近くに王宮が、その隣に4つの円筒状の塔を持つヌオーヴォ城があります。新しい城という意味だと思いますが、13世紀の城を15世紀に再建したものだそうです。ヌオーヴォ城の前のナポリ港に突き出た桟橋には国鉄マリッティマ駅があり、停泊している大型フェリーの向こうにはヴェスヴィオ火山がそびえています。

ナポリの港と国鉄マリッティマ駅の向こうにヴェスヴィオ火山 インターシティーのビュフェタイプの食堂車

ピッツエリアで夕食にしましたが、石の窯で焼くナポリのピザは安くて絶品でした。注文と違うものが出てきたり、勘定の釣り銭を間違うのはどこでも同じですが。

ローマに戻るインターシティーの食堂車は、簡易タイプとでも言うか、窓側にテーブルがあるものの、多少のプライバシーを考えてでしょうか、椅子の向きが斜めになりテーブルもそれにあわせて鋸刃状になった変わったデザインでした。

 


旅のヒント

イタリアでは余り英語が通じません。でも、イタリア人は親切です。 特に南部の人は陽気でこちらがイタリア語ができないがわかっていてもよく話しかけてきます。また、道や行き先を尋ねると、決して知らないとはいいません(イタリア語がわからないので多分)。知らないときは適当に(いい加減に)教えてくれます。

ナポリ中央駅で国鉄からヴェスヴィオ周遊鉄道に乗り換えてポンペイに向かうとき、窓口で乗車券を往復で買って、入ってきた電車に飛び乗りました。すぐに検札に来た車掌がドアの上の路線図を指さして何か言っています。どうやら行き先を間違えたようです。

全部の電車がポンペイに行くと信じて疑わなかったのですが、ナポリで2方向に分かれているようです。ホームが2本、1〜4番線まであるのがこれで納得。次の駅で降りてナポリへ戻る電車を待つ間にも、ホームでおばさんがなんだかんだと話しかけてきます。

今度は、ポンペイに行くことを確かめてから乗ったのですが、3つほど行った駅で車内が空いたので座席に座ろうと思ったら、何と全員が降りてしまいした。これはどうしたことかとオロオロしていると、若い女性が May I help you と英語で声をかけてくれました。どうやらこの先の区間が不通となっているため、バスで代行輸送をしているとのこと。そういえば切符を買ったとき窓口の駅員が何か言ってい たような。

バスで運ばれた先の駅で、また線路が二手に分かれているようで、2本ののホームに別々の電車が待っています。どっちの電車に乗ればいいのか、とりあえず手前の電車に乗ってみて、乗客の男性にポンペイまでの切符を示し“Pompei OK?”と聞いてみました。

彼は切符を隣の客に見せて何か言っています。まわりの客ものぞき込んで輪が広まり、議論をはじめました。そして彼らは、“この電車ではなく向こうの電車だ”との結論を出したようです(イタリア語がわからないので)。慌てて地下道を走って乗り換えた車両のドアのところに、先ほどの英語のできる彼女がいました。彼女がこちらの電車ではなくもとの電車だと(今度は英語で)言うものだから、また地下道を走って戻ることに。後でわかったのですが、どっちの電車に乗っても、下車駅は異なるもののポンペイの遺跡に行くことはできるのです。

教訓:イタリアでは、なるべく一般の人ではなく、駅員等プロに尋ねましょう。

ナポリ名物交通渋滞のためかか、夕刻にヌオーヴォ城前から中央駅に戻る市電を待っていても電車が来ません。安全地帯が人であふれ、満員の市電の中ではスリに遭う危険もあると思い、タクシーをつかまえました。

当時のガイドブックによると、ナポリのタクシーはみんな雲助で信用できないと言われていましたが、運転手にチェントラーレ・スタチオーネ(Central Station)と告げたらメータを倒したのでとりあえず一安心。ところが、市電が駅前方向に左折する交差点をそのまま直進します。どこへ連れて行くつもりだと思い、チェントラーレ・スタチオーネ !!と叫んだところ、裏道を通って治安の悪い駅前広場ではなく、直接駅の構内につけてくれたのでした。運転手にチップをはずみ、ついでに使わなかった市電の切符までプレゼントしてしまいました。

教訓:ナポリにも、運転はかなり荒いがまともなタクシーもいます。でも、メータと経路のチェックは自己責任で。

1994年3月 旅
2004年7月 記



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