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夜の大連の街

大連は、遼東半島南端の三方を海に囲まれた坂の多い港町です。19世紀末に帝政ロシアの租借地となりロシア風の街並みが造られました。日露戦争後は日本が占領し、この頃に日本人の設計で立てられた洋風の建物が現存し、他の中国の都市に比べ、綺麗な街という印象です。

ホリデーインから見た夜の大連駅前広場 2階建ての高速列車の絵

夕食を済ませて駅前のホテルにチェックイン後、夜の街に出かけました。大連を代表する木であるアカシアをかたどった街路灯で街は明るく、駅前広場には大勢の人出です。近くのビルの壁に流線型で2階建ての列車の絵が描かれていました。大連−瀋陽−哈爾浜間の電化にあわせて登場する高速列車かもしれません。

 

偽満州国時代からの大連の旧型市電

大連の市電は、201路(201系統のこと)、202路、203路の3つの系統があります。それぞれ、線路はつながっているのですが、使用されている車種は異なります。大連駅前から東へ203路、西へ向かって202路が走り、終点の一つ手前で南西に向かう203路に接続しています。

駅前広場の東側に位置するホテル、ホリデーイン大連のすぐ前に停留所があり、203路で使われている偽満州国時代に日本が持ち込んだ3000型旧型車が頻繁にやってきては東の寺児溝に向けて折り返していきます。もとは長春の200型と同じ車両と思われますが、こちらは車体にリベットが残り、制御器も日本でもよく見かける大きな直接式で、オリジナルの状態をよく残しています。

大連駅前の203路は戦前の日本車輌製3000型 木製ニス塗り 暖かみのある3000型の車内

夜の市電に、終点の寺児溝まで乗りに出かけました。乗客は前後の乗務員のいる扉から乗車し、料金箱に1元を入れます。扉は自動開閉になり、車内放送も自動化されていますが、今ではもう日本の路面電車ではほとんど見られない木製ニス塗りの車内です。クッションのない木製のシートに、乗務員の手作りでしょうか、布カバーがかけられた車両もあり、暖かい雰囲気を醸し出しています。

 

解放広場の市電車庫

翌朝は201路と202路の市電に乗るため、ホテルからタクシーで解放広場に向かいました。中国ではメモ用紙に漢字で行き先を書いて運転手に示せば連れて行ってくれるので便利です。解放広場にある市電の車庫からは、朝のラッシュ輸送に向かう電車が次々と発車してきます。202路の路線延長が完成したときにデビューするのでしょうか、3車体連接のLRTも2本、車庫の奥で出番を待っています。

解放広場にある市電の車庫 流線型の2000型、スマートな8000型、一番右は連接車LRT

新車のLRTを除けば、電車はどれもカラフルな広告塗装。車体は新しくても、板バネの旧型台車に釣かけモータ、性能は偽満州国時代の3000型と同じようです。

大連市電の201路の旧型車標準塗装と、解放広場車庫のLRTは、こちらでも紹介しています

 

202路の市電

系統により使用する車両が決まっているようです。解放広場の車庫前を通る202路は、正面が曲面ガラスの1枚窓、4枚折り戸にパンタグラフを装備したスマートな8000型で統一されています。

202路の8000型は興工街で折り返し 新しい8000型の車内 ロングシートはプラスチック

大連駅前から西に走る201路の終点の手前、興工街が202路の始発で、解放広場を通って南西へ、星海公園方面の郊外に向かいます。解放広場から先は専用軌道で、星海公園付近はコンクリートで固めたスラブ軌道に改良されていますが、旧性能の8000型ではたいしたスピードは出ません。