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K161次快速の車両

K161次快速に使われている客車をご紹介します。

硬座車は、中央の通路をはさんで4人がけと6人がけのボックス席で間にはテーブルがついています。エアコン付きの新しい車両は、枕の部分が独立して白いカバーがかかっています。でも、満席の車内で一夜を過ごすのは、贅沢に慣れた日本人には辛そうです。

大連発哈爾浜東行K161次快速 硬座車は4人がけと6人がけのボックス席

軟臥車は、片廊下で中から鍵のかかる引き戸のついた2段ベッド2組、4人のコンパートメントです。下段の寝台は座席兼用で、窓ぎわにはテーブル、レースのカーテンもついています。シーツや毛布は付属していますが、日本とちがってプライバシーを守るベッドのまわりのカーテンはありません。

片廊下の軟臥車 向かい合わせ2段ベッドの軟臥車のコンパートメント

硬臥車も片廊下ですが3段ベッドです。でも、エアコン付きの新型車にはベッドの端面には壁がありました。こちらはドアもカーテンもないので、通路からベッドの中が丸見えです。

中国では、多くの長距離列車に日本ではほとんどお目にかかれなくなった食堂車が組み込まれています。でも、夕食を済ませてから乗車したのでおなかはすいていません。乗車して少し時間がたってからビールでもと思い食堂車に行ってみたのですが、夜の10時前でもう営業を終了していました。翌朝チャレンジしようとしたのですが、寝過ごしてしまい下車するまであまり時間がありませんでした。残念。

3段ベッドの軟臥車も片廊下 夜間の営業終了後の食堂車は

乗務員が各車両にいて、デッキのそばの給湯器からお湯を入れた大きなポットを部屋に届けてくれます。私の乗った軟臥車の乗務員は、若いかわいい小姐だったので、翌朝“一緒に写真を撮ってもいい?”と聞いてみたのですが、手を振って断られてしまいました。嫌われたのか、私の英語では通じなかったのか。

 


哈爾浜駅前

翌朝、K161次快速は定刻に黒竜江省の省都、中国最北の大都会でもある哈爾浜に到着しました。哈爾浜の町を東西に松花江が流れています。黒竜江(ロシアではアムール川)の支流とはいえ、大河です。19世紀末、ロシアが清朝から東清鉄道の敷設権をえて、ロシア人街を建設して以来、街が発展してきました。その面影は、ロシア風の建造物など、哈爾浜駅から北の松花江畔にかけての街並みによくのこっています。1932年以降は日本の実質的支配下にあり、森村誠一氏の著書「悪魔の飽食」で一般にもよく知られるようになった731細菌部隊が郊外におかれました。伊藤博文が暗殺されたのも哈爾浜駅頭です。

哈爾浜駅 緑の広場の地下は広大な商店街 北京−哈爾浜間の夜行寝台バス 屋根上が荷物台

旧南満州鉄道沿線の大連、鞍山、長春とならんで、以前には哈爾浜にも、偽満州国時代に日本の手で敷設された路面電車がありました。市内地図が改定されていないガイドブックには、今でも哈爾浜駅を中心に101、102、103の3系統の路面電車の路線が掲載されていますが、残念ながら1980年代に廃止されています。

駅前の食堂で朝食をとった後、駅の構内で8元(約120円)の時刻表を、駅前広場の地下商店街で筆談用のメモ用紙を買いました。

駅前に、側窓が上下2段になった赤いちょっと変わったバスが停車していました。何とこのバス、窓に合わせて車内が2段ベッドになっています。北京−哈爾浜間の長距離夜行寝台バスで、隣には大連−間の白い寝台バスもいました。

K161次快速と夜行寝台バスは、こちらでも紹介しています