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旅の車窓から

ロシア モスクワ サンクトペテルブルグ編

旧ソ連製の飛行機に乗ってロシアと北欧の旅に出ました。成田−ИЛ62М(イリューシン)→モスクワ−ТУ154(ツポレフ)→サンクトペテルブルグ−ТУ134(ツポレフ)→ストックホルム 市電と地下鉄で、モスクワとサンクトペテルブルグの見所をご紹介します。


ロシア・北欧の旅

1995年の夏休みにパッケージツアーを使って、ロシアと北欧3ヶ国に家族旅行に行きました。

コースは、成田モスクワ[泊]−サンクトペテルブルグ[2泊]−ストックホルム[泊]−オスロゴール[泊]−ボス[泊]−オスロ[泊]−船中[泊]−コペンハーゲン[泊]−モスクワ−機中[泊]−成田の10泊11日です。
この間の移動は、ストックホルム−オスロ間が国際列車、オスロ−コペンハーゲン間が国際航路、ノルウェー国内の移動が観光バスの他は飛行機です。

夏休み期間中の北欧にもかかわらず、1人\27,8000という破格の価格設定でした。通常では\400,000位になるコースだと思います。この価格を可能としたのは、使用する飛行機が“アエロフロートロシア国際航空”で、かなりのディスカウントが見込めたからでしょう。宿泊したホテルは、どこも一定レベル以上でしたが、利用した飛行機は帰りのモスクワ→成田を除き旧ソ連製の年代物でした。

ロシアはアジアからヨーロッパまでまたがり、世界で最も広大な国土面積1700万平方キロメートルは、日本の約54倍です。首都モスクワの人口は850万人、ヨーロッパ最大の都市でもあります。

※ 5ページ目の末尾にそれぞれリンク先を設けました。詳しく知りたい方はご利用ください。

 


モスクワへ

成田から乗ったモスクワ行きアエロフロートロシア国際航空SU588便の機種は、イリューシン62M。1967年から製造された旧ソ連製の長距離旅客機です。その後に開発されたイリューシン86の出来が悪かった(航続距離が短かい)らしくて、いまだに現役です。1999年7月にはまだ週に2便ほどIL-62M(ロシア語ではИЛ-62M)が成田に来ていましたが、ボーイングをはじめとする西側の飛行機の導入が進んだためか、8月からは成田便は全便エアバスA310になったようです。

IL-62Mの機内は、中央の通路をはさんで両側に3人がけのシートが並ぶシンプルなもので、定員は約100人。イリューシン、ツボレフ、アントロノフなど旧ソ連の飛行機には、ロシア語のアルファベットに従いB席が2つあります。片側3人がけの場合は窓側からАБВ、通路をはさんでГДЕとなります。

機内に入ってまず驚いたのは、機内に煙が立ちこめている ! ?。実際には天井や足元から加湿器の水蒸気のようなものが出ていました。私たちの後ろの席にいたアエロフロート常連の方によると、いつもこうだそうです。離陸して上空に達すると、いつの間にか消えていました。

エコノミーの座席はペラペラ、背を前に押すと90度倒れます。テーブルは金属製というか板をただ折り曲げただけ、内壁をたたいてみるとカンカンという金属のような音がします。機内サービスのビデオはおろかオーディオもなし。離陸の時には安全ベルトを締めますが、妻の席の安全ベルトは金具が止まりません。仕方なく、めいっぱい引き延ばしてから浴衣のひもを締める要領で結びました。それでもソビエト空軍出身といわれる機長の腕は良く、無事に定刻にモスクワ国際空港へ静かに着陸しました。

モスクワ川に面したウクライナホテル ウクライナホテルの部屋から見たモスクワ川と市内

モスクワでは、ウクライナホテルというスターリン様式の高層ホテルに泊まりました。このホテル、1991年夏のゴルバチョフ政権末期に保守派がクーデターを仕掛けた際に立てこもり、砲弾を撃ち込まれたロシア連邦議会ビル(もちろんきれいに修復されています)とモスクワ川をはさんで対峙する立地の良い、旧ソ連を代表するような立派な建物です。でも、部屋に入るときカードキーでドアが開かないから始まって、水の出が悪い、お湯が時々水になる等、旧ソ連から引き継いだ施設としては常識的な小さなトラブルはいくつもありました。

ライトアップされたロシア連邦議会ビル ロシア国鉄のキエフ駅

北に位置する夏のモスクワの日暮れは遅く、ホテルにチェックインをすませると、早速地下鉄の探検に出かけました。最寄り駅が意外に遠く、モスクワ川沿いにウクライナの首都キエフ方面への列車が発着するキエフ駅まで1.5kmほど歩きました。

 


モスクワ市内めぐり

翌日は朝から市内観光に出かけます。モスクワは、クレムリンを中心に放射状に街が広がっています。モスクワ川が複雑に蛇行して流れ、道路も地下鉄も、街を一周する環状線と、これに交差する放射状の路線で形成されています。

まずは、市の南西部にあって市内を一望に見渡すヴァラビョーヴィ丘へ。目の前に1976年に開催された(ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して日本がボイコットした)モスクワオリンピックスタジアムを見下ろす丘ですが低い丘で、ソ連の崩壊によりレーニン丘から名前を変えたとか。ウクライナホテルの部屋の方が遠くまで眺めがきいたようです。

オリンピックスタジアムを見下ろすヴァラビョーヴィ丘 旧ソ連の権威を感じさせるモスクワ大学

丘の上には、ロシア各地の秀才が集うモスクワ大学があります。高さ約240mの校舎は、市内にあるスターリン様式建築の中でも最大の高さだそうです。

ネギ坊主の立つノヴォデヴィッチ修道院 ヴォリショイ劇場と青いトロリーバス

ネギ坊主の立つノヴォデヴィッチ修道院。この修道院の池の白鳥から、チャイコフスキーの白鳥の湖が生まれたとか。そんな話とは別に、ソ連崩壊から間もない当時は、ガイドさんから家賃が上がった、物価が上がった、ソ連時代より生活が大変になったなどの実情を聞きました。

共産圏スタイルのロシアの国電は客車と同じ緑に黄色の帯 フロントエンジンむき出しで走るモスクワのオンボロバス

市内には市電やバス、トロリーバスが行き交い、国鉄と道路は立体交差になっています。ローマ風建築で、バレーで有名なヴォリショイ劇場などを通り、クレムリンの中へ。