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ラトビア鉄道歴史博物館

トラムが橋を渡り終えて最初に停車する停留所で下車下車すると、ラトビア鉄道歴史博物館があり、電車通りからも屋外展示の蒸気機関車やディーゼル機関車が見えます。

ラトビア鉄道歴史博物館 鉄道博物館の展示車両

ラトビア鉄道歴史博物館の詳細は、こちらをご覧ください

見学を終えて、今度は歩いてアクメンス橋を渡って旧市街に戻ります。橋の上をトラムが、下流に架かる鉄道橋を国電が行き交います。

ダウガヴァ川のトラス橋を渡る電車
旧市街を背にアクメンス橋を渡るトラム 数は少ないが全面広告車もある

 


1991年のバリケード博物館

ラトビア風水餃子ペルメニの店で早めの夕食をとります。何種類もの餃子の中から、自分の手で好きなだけカップにとり、レジで重量を量ってお金を払うセルフサービスのシステムですが、ラトビア語では何の餃子かわかりません。地元の人でしょうか、前に並んでいた人が、これはビーフ、ポーク、ラムなどと、親切に英語で教えてくれます。どこで飲んでもビールがおいしい。

水餃子のお店 右の建物がラトビア占領博物館

食後に、市庁舎前広場に戻り、ブラックヘッドの会館の隣にあるラトビア占領博物館へ。第二次世界大戦からスターリンによるシベリア流刑など、ラトビアがナチスとソ連に占領され、ほんろうされた被害の歴史が数々の遺品などによって展示されています。ソ連がつくったシベリアの収容所の内部は、アウシュビッツで見たナチスのユダヤ人収容所にそっくり。

広場の向こうの、聖ペテロ教会の展望台にもう一度チャレンジしたのですが、順番待ちが多くて時間が勿体なく、科学アカデミーに登ったから、まっいいか。

1991年のバリケード博物館はたき火を囲む人々の写真を掲げた小さな建物 

それならと、火薬塔にある十字軍からソ連崩壊に至る戦争の歴史を展示したラトビア軍事博物館に行ったら、何とこちらは休館日。

近くの、1991年のバリケード博物館に向かいます。博物館は、大聖堂近くの小さな4階建てのビル、玄関の脇に、たき火を囲む人々のモノクロ写真が掲げられていなければ通り過ぎてしまいそうな、普通の家の2階にあります。ソ連崩壊前の、1991年1月20日。独立を訴えバリケードをはっていたリーガ市民を、ソ連特殊部隊が襲撃した事件にまつわる史料があります。

ソ連から独立へ リーガの街を埋め尽くす人々 大聖堂前広場に築かれたバリケードの再現模型

厳寒の市街地に築かれたコンクリートのバリケード。当日の大聖堂前の広場を再現した模型。独立を求める大勢の市民の写真パネルや犠牲者のメモリアル等が展示されています。現在の独立と平和を勝ちとるために犠牲が払われたのは、今からわずか18年前のことです。

日本からはるか遠くに離れたヨーロッパの小国で起きた民主の蜂起。マスコミで大きく取り上げられることが無かったためか、覚えていませんが、博物館で上映されているビデオを見ると、その2年前、中国の首都、北京で起きた天安門事件の映像の記憶と重なります。

 


リーガのトロリーバス

トラムやバスとともに、リーガ市民の足となっているトロリーバスをご紹介します。旧型車はチェコのシュコダ製。正面窓上に系統番号のみ表示していますが、比較的新しいタイプは系統番号に加えて行き先の表示ができる様になっています。同じ車体で、連結タイプもあります。

Skoda製の旧型車 方向幕の付いた旧型車
IVECOのノンステップ車 Solaris製の新型の連結車

急速に新型車への置き換えが進んでいるようで、リーガのトロリーバスの主力は、イタリアのイベコ製のノンステップ車。前、中、後ろの3ヶ所に扉がありますが、後部扉の部分までノンステップになっています。連結タイプには、ポーランドのソラリスの新型も走っています。

後部の扉までノンステップ 切符は運転手から購入

乗車方法はトラムと同様で、ICカードを持っていれば車内の読み取り機にかざし、1回券は運転手より購入します。走行中、左手でハンドルを操作しながら右手で端末を操作して発券する様子は、見ていて冷や冷や。

     
ノンステップのトロリーバスの車内       屋根上のポールを映す液晶モニタ

運転席の正面窓上に、屋根上の2本のポールを映す液晶モニターがあり、分岐点では速度を落とし、ポールが正しい方向の架線に切り替わったことを見てから加速します。

 


リーガ国際空港へ

これでラトビアともお別れ。ショッピングセンターに立ち寄り、スーパーマーケットで土産を仕入れ、カフェテリアで腹ごしらえをして、JALのチャーター便が迎えにくるリーガ国際空港に向かいます。

ショッピングセンターのスーパーマーケット リーガ国際空港

 


旅のヒント

ラトビアを含むバルト三国の鉄道は、リトアニアの西にあり今ではロシアの飛び地となってしまったカリーニングラード州も含め、ソ連時代にはバルチック鉄道の管轄下にありました。バルト三国の独立により、それぞれの国に移管されて運行されています。

1990年代には、バルト三国の首都を結ぶ夜行列車が運行されていたようですが、これらの国々の人口密度は北海道より低く、ラトビアの首都リーガ周辺とエストニアの首都タリン周辺の国電区間を除くと列車本数は少なくなっています。

バルト三国の間で線路はつながっているようですが、直通列車はおろか、乗り換えしようにも途中に旅客列車の運行されていない区間が存在し、ラトビアのリーガからエストニアのタリンやリトアニアのビリニュスに列車で旅をすることは不可能です。

リーガからスィグルダを経て、エストニアとの国境の町、というか街の中心に国境線が引かれたためラトビアとエストニアに分割された街であるヴァルカ(エストニア語ではヴァルガ)まで、ラトビア鉄道の列車は1日に3本運行されていますが、ヴァルガから先のエストニア鉄道に旅客列車は運休中です。

トーマスクックの時刻表では、バルト三国の首都を結ぶ路線の時刻欄にバスのマークがあり、ユーロラインのバスが運行されています。運行本数は多くはありません。飛行機は三国の共同経営でしょうか、バルチックエアーが三国の首都相互間と、広くヨーロッパや旧ソ連の各国を結ぶ路線を運行しています。

ラトビア鉄道の車両は、独立後に製造されたものがあるかもしれませんが、見かけた範囲では全て旧ソ連時代の設計で、更新修繕を受けて車内は綺麗になってはいるものの、採算面を考えるとバスに対抗することは困難と見受けました。

日本から見ると、バルト三国間の違いはよくわからないのですが、言葉も通貨も、そしてエストニアは民族も異なり、三国間の人の移動は多くはないようです。

一方、ソ連時代からの名残か、バルト三国の首都とロシアの間では夜行列車が運行されており、リトアニアのビリニュス発ロシアのサンクトペテルブルグ行きが、ラトビアの東部をかすめるのが、2009年夏現在、唯一バルト三国間で国境を越える列車です。

いずれにせよ、バルト三国の旅行では列車の旅は短区間のみで、長距離の移動はバス又は飛行機に頼らざるを得ないのが現状です。

※ 2010年1月より、エストニアのタルトゥ−バルガ間の列車の運行が再開され、エストニアの首都タリンからラトビアの首都リーガまで、タルトゥとバルガ乗り継ぎで鉄道移動が可能になったようです。本数が少ないので接続時間の確認が必要です。リーガとリトアニアの首都ビリニュスの間は、バスか飛行機です。

2009年8月旅
2009年10月記

 


お役に立つリンク集

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