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臨津江駅を出発

次の都羅山行きの列車に間に合うよう、余裕を持って臨津江駅に戻ります。DMZツアーに申し込んだときにもらった許可証を首からかけ、駅舎内で兵士からボデーチェックと手荷物の検査を受けた後、ホームに出て列車の到着を待ちます。

臨津江駅の駅名を背景に入れて写真を撮ってもらおうと、4人のグループに英語でお願いしたら、日本人でした。失礼しました。DMZツアーに参加する日本人は、 先に車内で見かけた若い女性の2人連れと私を含め7人とわかりました。

臨津江駅の駅舎と駅前広場 臨津江駅に都羅山行きの列車が入線

ソウルからの都羅山行きの列車が到着します。まずは、長いホームのソウル寄りに停車して乗客を全て降ろしてから、私たちの待つホームの都羅山寄りに移動してきます。ドアが開いて乗車です。

臨津江を渡る 対岸は民間人立ち入り制限区域 臨津江鉄橋から臨津閣方向を振り返る

臨津江駅を発車すると、多くの人が列車を見つめる臨津閣の横を抜けて、ゆっくりと臨津江の鉄橋を渡ります。いよいよ民間人出入り統制線を越えます。

 


都羅山駅

鉄橋を渡ると、線路の両側には金網が続き、すぐに終点の都羅山駅に到着です。臨津江駅で次の列車まで1時間10分待って、この間の乗車時間はわずか3分です。

都羅山駅に到着した列車 列車のサボ ソウル→都羅山

将来を見越してでしょう。わずか50人ほどの乗客が下車した都羅山駅は、ホームが3面5線の広い駅です。乗客が勝手に改札口を通らずに駅の外に出ないようにでしょう、ホームの中央からガラス入 の長い柵が続いています。線路は柵に沿って、さらに北に向かってのびていきます。

都羅山からさらに北に向かって続く線路 ソウルから都羅山駅まで56km 北朝鮮の平壌へは205km

ホームに立つ駅名標には北への直通運転の希望を込めて、“ソウル56km←都羅山→205km平壌”と記したものと、“臨津江←都羅山→開城”と書かれたものがあります。 開城(ケソン)はここから一番近い北朝鮮の都市です。

都羅山駅の改札口には、駅員ではなく韓国軍兵士が立って乗客を迎えます。でも、横のカウンターでは、駅員の制服を着た人が記念入場券等を販売しています。

都羅山駅の改札口は駅員に代わって兵士が守る 駅周辺の完成時を想定した模型と記念入場券を買う乗客

駅舎内には、都羅山まで開通した当時でしょうか、金大中もと大統領が米国のブッシュ大統領をこの地に案内したときの写真が掲げられ、サイン入りのレールが展示されています。

駅構内にあった金大中もと大統領とブッシュ大統領の写真 臨津江を渡り非武装地帯を抜け北朝鮮に続く線路

駅舎の外に出ると大きな看板があり、臨津江を渡り、都羅山駅から非武装中立地帯、軍事境界線を抜け、北朝鮮に続く線路と、北朝鮮の開城までの途中駅が描かれています。

臨津江駅、臨津閣、都羅山駅は、こちらでも紹介しています。

 


北朝鮮との軍事境界線非武装中立地帯へ

兵士に案内され、駅の横の駐車場に停まっている2台のバスに分乗して、DMZツアーに出発です。日本人7人はいずれも2号車の乗客となります。発車すると、左手に北朝鮮に続くのでしょう、複数のバリケードが置かれ兵士が警備に当たる道路が分かれていきます。

立派な都羅山駅の駅舎 北に続く道路のバリケードと兵士

2号車の運転士は中年の女性です。ハンドルを握りながら、マイクを通してガイドをしてくれますが、もちろん韓国語のみ。他の乗客は盛り上がっていますが、7人の日本人には何のことやら??です。バスが通ると、途中の道路のあちこちで警備に当たる兵士が敬礼をします。運転士の女性も韓国軍の関係者のようです。

 

DMZ資料館と南侵第3トンネル

バスは、非武装中立地帯の中にあるにDMZ資料館に到着します。資料館の前には、割れた地球の内部にある分断された朝鮮半島を一つに合わせようとしている、南北の統一を願うモニュメントがあります。バスから下車する際、 置き去りにされないよう、出発時刻だけは運転士に英語で確認しておきます。

ここにはもちろん、一般車は入って来ることはできません。都羅山駅からの2台のバスの他にも、駐車場には5台のバスが停まっています。赤いのがDMZ専用車。ソウルからの団体ツアーに参加し、臨津閣でDMZツアー専用バスに乗り換えて来るのが一般的なルートようです。

非武装中立地帯の中にあるDMZ資料館 統一を願うモニュメントの向こうに並ぶ観光バス

DMZ資料館のホールでは、大きなスクリーンで朝鮮戦争の休戦から非武装中立地帯の成立、そして現在に至る経緯を映像で見られます。外国人にはヘッドホンが配られ、チャンネルをそれぞれの言語にあわせます。ホールを出て朝鮮戦争や板門店の模型などの展示を見ていると、日本語で“日本人こっち”と呼ばれ ました。連れて行かれたところにトロッコのような乗り物があり、既に大勢の乗客が乗っています。

ここは、1978年に北朝鮮が韓国に対する軍事行動に出るため、休戦ラインを越えて南へ、韓国領内にまで掘り進んだ、南侵第3トンネルが発見された場所です。トンネルの様子を示す看板の絵によると、幅と高さが2m、長さは1.6km以上に及ぶそうです。

韓国側が南侵第3トンネルの終点に向け、地上から斜めに長さ320mの通路を堀り、トロッコのような乗り物でトンネルの中に降ります。ここから先は撮影禁止。あらかじめロッカーにカメラなどの手荷物を預け、ヘルメットをかぶってトロッコの空いた席に座り、シートベルトを締めます。

北朝鮮が南に向けて掘り進んだ南侵トンネルの説明図 南侵第3トンネルに降りていくトロッコ

この回のトロッコは日本人だけを集めたようです。南侵第3トンネルの中まで降りるとトロッコから下車して、韓国人の日本語ガイドの説明を聞きながら徒歩でトンネル内を進みます。壁にはダイナマイトを仕掛けるために開けた穴があり、黒く塗られている部分は、北朝鮮が石炭を掘ったと偽ってごまかしてるのだとか。

歩ける距離は245m。韓国側が軍事境界線、休戦ラインの手前の位置に三重の隔壁を設けてトンネルを遮断しており、兵士が警戒にあたっています。行き止まり地点では、1番目の隔壁に覗き窓があり、2番目の隔壁が見えます。ここでUターンして、いま来た道を戻り、再びトロッコに乗って地上に出ます。

現在のところ北朝鮮が韓国に向けて軍事境界線の下を掘り進んだトンネルは、韓国側が見つけたものだけで第1から第4まであり、ここ南侵第3トンネル は首都ソウルまでわずか52km、最も近いところに位置する危険なトンネルだそうです。

 


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