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臨津江駅

かつては、ソウルと中国国境の新義州を結んでいた京義線は、朝鮮戦争により北は開城、南はで分断されます。それから45年を経た2000年に、太陽政策を掲げた当時の金大中韓国大統領と北朝鮮の金正日 総書記の間で行われた南北首脳会談によって、分断された南北の京義線の再連結に合意します。

韓国側は2001年に山駅から−雲泉駅−臨津江駅(イムジンガン)まで6.0kmが、2002年には民間人出入り統制線となっている臨津江(イムジン河)を渡り、南北軍事境界線の両側に幅2kmずつ設けられている非武装中立地帯(DMZ)の都羅山まで3.7kmが延長されました。

臨津江駅に到着したソウルからの列車

2003年には南北のレールがつながったものの列車の運行については膠着状態が続き、試運転の後に韓国側から南北共同開発の北朝鮮開城工業団までの間で貨物列車の運行を開始したのは、この地を訪問した翌年の2007年のことです。

通勤列車は、ソウルから1時間余りで山駅に到着し、大半の乗客はここで下車してしまいます。係員が乗ってきて、車内の清掃し、シートをソウル向きに転換して行きます。

ホームが片面だけの臨津江駅 DMZツアーに申し込む

残ったわずかな乗客を乗せて列車は復活区間に入ります。ここから先は単線です。やがてホーム片面だけの駅、臨津江に到着します。ここから先の民間人出入り統制区域に入るには、臨津江で一旦下車して、ホームにあるDMZツアーのカウンターでパスポートを見せて チケット購入(1200円ぐらいだったと思います。安い!)の手続きをする必要があります。

臨津江駅で受け付けるDMZツアーの1回の定員は180人だそうですが、この列車から降りた乗客は50人に満たない人数でした。

 


臨津閣

次の列車まで、1時間10分の待ち時間を利用して、臨津江駅のすぐ北にある臨津閣(イムジンガッ)に向かいます。ここは、北朝鮮の手前の許可なく自由に出入りできる最後の地点です。

かつて京義線を走ったのでしょう、蒸気機関車と2両の客車が北に向かって保存されています。ハングルは読めませんが、英語で書かれた“LET THE IRON HORSE RUN AGAIN”(鉄馬を再び走らせたい)の文字に、韓国の人々の統一への思いが伝わってきます。

北に向かって停車している蒸気機関車の牽く列車 昔の臨津閣駅舎の復元と旧型客車

先頭の機関車と、その次の古い客車は戦前の日本統治時代の朝鮮総督府鉄道から引き継いだ車両でしょう。でも機関車は旅客用ではなく貨物用のミカサ型では? 機関車の横の小さな建物は、かつてこの地にあった駅を復元したものだとか。

閉まっていますが、後ろの客車はレストランに使われているようです。こちらは韓国鉄道公社で、かつてトンイル号かピドゥギル号(現在これらの種別は通勤列車になっています)に使われていた戦後の客車だと思われます。

3両目の客車は食堂として使われているようだ 右は平和の鐘閣 向こうに臨津江が流れる

臨津閣観光案内所の建物の屋上にある展望台に登ると、目の前に“自由の橋”と、その向こうの臨津江にかかる都羅山駅へ向かう京義線の鉄橋が見えます。かつては複線だったのでしょう、鉄橋と平行して川の中に橋脚だけが続いています。その右には平和の鐘を納めた鐘閣があります。

♪ イムジン河 水清く とうとうと流る〜 水鳥 自由に群がり 飛び交うよ ♪ 1960年代に流行り、放送禁止になった、あの曲の地に、今立っています。

臨津江を渡る京義線 手前に架かるのは自由の橋 非武装中立地帯の中に取り残された機関車の写真

自由の橋は、1953年に朝鮮戦争で捕虜になった韓国の軍人が南に戻ってきた地点であることから、こう呼ばれているそうです。橋の向こう側は柵がされ、民間人はこれ以上先に進むことができません。

京義線の線路に面した行き止まりの柵には、韓国旗や北への望郷の念を書いたと思われる布や紙などが貼り付けられています。

自由の橋 韓国旗を掲げたフェンスの向こうは京義線の線路 京義線に突然現れた韓国軍の車両

また、朝鮮戦争の戦火の中、非武装中立地帯に取り残されたまま半世紀を経て、朽ち果てようとしている機関車の写真も 、近くのフェンスに取り付けられています。

突然、柵の向こう側、京義線の線路に兵士を乗せたレール上を走るトラックが現れました。ここは、対北朝鮮の最前線です。

     
南北平和統一祈願の文字       世界の“戦場”から集めた石をはめ込んだ碑

朝鮮戦争で南北が分断され、韓国には北に故郷を持つ人が1000万人といわれています。いくつのも碑に刻まれたハングルの中に、日本人にも読める“望郷”や“南北平和統一祈願”の 漢字を見つけ、この国の置かれた厳しい現実を肌で感じます。

このほか臨津閣には、世界64カ国84の戦場にあった石を集めた“平和の石”の碑が立ち、朝鮮戦争当時と思われる戦車や戦闘機をはじめとする武器の展示もあります。

戦車や戦闘機も展示 ラングーン事件の碑

その中でひときは高くそびえるのが、1983年にビルマ訪問中の当時の韓国全斗煥大統領一行の暗殺を狙って、北朝鮮の工作員が引き起こした爆弾テロで、両国の政府関係者に21名の死者がでたラングーン事件の碑です。

 


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