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北朝鮮を望む都羅展望台

DMZ資料館の駐車場を出たバスは、すぐ近くの小高い丘に通じる急な坂道に向かいます。登り切ったところにあるのが都羅展望台です。

建物の中は、劇場のように階段状になった座席ががあり、その前方は大きなガラス張りで、非武装中立地帯とその向こうに広がる北朝鮮が一望できます。兵士が監視にあたっており、中に入ったとたん韓国語に続いて日本語で“写真は撮らないでください”と声がかかりました。

工事中の都羅山駅前から見た都羅展望台のある山 都羅展望台の建物

前面のガラスの前には前方の風景の模型があります。韓国語の説明のあとで、流暢な日本語を話す兵士に交代して、模型を差して板門店や北朝鮮の施設を説明してくれます。

建物の外に出ると、コイン式の双眼鏡が並び北朝鮮を間近に見る事が出来ます。500ウオン硬貨の持ち合わせがなかったのですが、端の2台は監視業務用でコインを入れなくても見ることができます。韓国語は読めないし、英語もわからないふりをして使わせてもらいました。

都羅展望台から望む非武装中立地帯の森とその向こうに広がる北朝鮮の大地

正面に北朝鮮の開城の街、韓国と共同開発の開城工業団地、右手には北朝鮮の国旗が翻る宣伝村、さらには板門店まで一望の下に見渡すことができます。この双眼鏡のある場所は撮影禁止ですが、そこから3m程のところの床に引かれた黄色い線の後ろ側なら可能です。北朝鮮に向け、カメラを両手で高く掲げシャッターを切ります。

展望台の丘から降りたバスは近くの村の食堂に立ち寄り、昼食の休憩をとった後、都羅山駅に戻ってDMZツアーは無事終了です。再び京義線の列車に乗ってソウルに戻ります。帰りは、もう臨津江駅での途中下車はありません。

 


ソウル駅のムグンファ号

ソウル駅に発着する列車の写真を撮っていたら、停車中のムグンファ号の編成に食堂車が連結されているのに気付きました。今や日本では、本州から札幌行きの夜行列車のみとなった食堂車ですが、ここ韓国ではKTX開業後も、数は減ったとはいえ長距離を走るセマウル号やムグンファ号では営業しているようです。

ソウル駅で発車を待つムグンファ号 ムグンファ号の食堂車

翌日は、ソウルから電鉄で1時間程度のところにある世界遺産の街、水原へ行こうと思っていました。駅のカウンターで尋ねたところ、朝の釜山行きムグンファ号に食堂車が連結されており、ソウル−水原間で利用可能との回答を得、早速乗車券を購入しました。

 

ロープウェーで南山へ

一旦ホテルに戻ってから、ロープウエーで ソウルの中心にある海抜243mの南山に登ります。その頂上には、ソウル首都圏のテレビやラジオの電波塔、高さ237mのソウルタワーがそびえています。

南山のロープウエーとソウルタワー 南山から見たソウルの日没

秋の夕暮れは早く、西の山に日が沈みます。南山のルーフテラスから眺めるソウルの街並みの向こうは漢江(ハンガン)がゆったりと流れ、やがて街の明かりが輝きを増していきます。 わずか50km北に引かれた軍事境界線非武装中立地帯とは別世界のようです。

暮れゆくソウル街並みの向こうに漢江が流れる ソウルの夕焼け

 

明洞と南大門周辺

再びロープウェーで南山からおりて、明洞に向かいます。今日の夕食は石焼きビビンバにしました。おいしー!でも、ソウルの物価は、今や日本と変わりませんね。

石焼きビビンバの夕食 ライトアップされた焼失前の南大門

夕食後は、明洞から近い南大門市場周辺の散策に出かけます。韓国の国宝第1号の崇礼門(スンネムン)は、一般には南大門(ナンデムン)と呼ばれ、14世紀末に朝鮮王朝の首都、漢城の南門として建設されて以来、朝鮮戦争をはじめいくつもの戦火もくぐり抜けてきたそうです。残念なことに、2008年2月に放火で焼け落ちてしましました。

衣類の店が並ぶ南大門市場 ライトアップされた韓国銀行

その南大門の東南に広がるのが南大門市場。600年の歴史があるとかで、衣料品を中心にキムチや海苔、高麗人参などの韓国食材を中心になんでもそろう市場です。24時間営業の飲食店もあり、アジアの熱気を感じます。

再び明洞の方角に戻ります。旧館が日本統治時代の京城三越だった新世界百貨店、同じく当時の朝鮮銀行、現在の韓国の中央銀行である韓国銀行の近くを抜け、日本と同じデパ地下もあるロッテ百貨店本店へ。

ロッテ百貨店本店 別館ヤングプラザにはユニクロも 露店の焼き栗がおいしかった

明洞名物、夜の通りに並ぶ露店でいろいろ試してみました。焼き栗がおいしかったですね。

 


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