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カウナス旧市街を望む丘

カウナス旧市街の南を流れるネムナス川の対岸に、小高い丘があります。丘に登るケーブルカーがあるのですが、残念がら運休中。

     
ネムナス川の対岸の旧市街を望む丘       ケーブルカーは運休中

丘の上が展望台になっていて、北に旧市街を一望できます。また、東には新市街の向こうに聖ミカエル教会のドームが見え、その向こうは杉原記念館のある丘へと続いています。

1台のリムジンが、旧市街に向けて橋を渡っていくのが見えました。

丘の上からネムナス川の対岸の旧市街を望む 奥に聖ペテロ & パウロ大聖堂

丘の上で、一人の日本人青年に出会いました。ポーランドのワルシャワから夜行バスでカウナスに着いたのだとか。そういえば、ビリニュスとワルシャワ間の夜行列車も運休中です。

ヴィタウタス大公教会の向こうにイエスズ教会の尖塔 聖ミカエル教会のドームの向こうの丘に杉原記念館

 


カウナス旧市街

丘から降りて、ネムナス川を渡り、カウナス旧市街の散策です。ベルクーナスの家は、15世紀のゴシック建築で、昔は雷神ベルクーナスを祀る神殿があったとの言い伝えからその名が付いたとか。

ベルクーナスの家 旧市庁舎 旧市庁舎前の新婚さん

旧市街の中心に建つ美しいバロック様式の旧市庁舎。白い姿は白鳥に例えられる建物だとか。18世紀の半ばの建築で、ロシアに併合されたからは政治犯の牢獄として、また、皇帝の別宅としても使われ、現在では結婚登記所となっています。

リムジンと新婚さん ベルナルディン修道院

先ほど、丘の上から橋を渡っていくのを見かけたリムジンが、市庁舎前広場に停まっています。旧市庁舎から新婚さんが出てきました。Congratulations! と声をかけたら、親族の方からお菓子をいただきました。

修復工事中の聖ゲオルギ教会 カウナス城

ソ連時代は、教会は工場や倉庫に転用されていたそうです。かつてはステンドグラスがはまっていいたであろう、聖ゲオルギ教会の窓は煉瓦で塞がれたまま。やっと修復工事が始まったようです。

カウナス城は、ドイツ騎士団の攻撃を防ぐため、13世紀に造られたが、現在残っているのは15世紀に再建された城の一部、修復された塔と城壁のみです。

 


十字架の丘へ

カウナスから北へ、バスでシャウレイに向かいます。車窓はのどかな田園風景が広がります。シャウレイの郊外に、小高い丘に無数の十字架が並ぶ場所があり、十字架の丘と呼ばれています。

リトアニアの車窓 道路沿いにはお墓も

その起源は1831年のロシアの圧政に対する蜂起の鎮圧により、処刑や流刑による犠牲者を悼んでこの地に十字架がたてられたといわれています。ソ連時代には、当局がブルドーザーで何度も十字架の撤去を行うが、その都度十字架は再建され、その数は増え続けたそうです。

十字架の丘の売店 私も十字架を奉納へ

十字架の丘の手前の売店では、大小様々な十字架が売られています。私も、ここで一番安い1Lt(約40円)と2Ltのロザリオ(十字架)を買い求めて丘に向かいます。

十字架の丘の全景

丘の手前、入り口の正面に建つ十字架は、前ローマ法王、ヨハネパウロ2世がリトアニアの独立後、この地を訪れたときに奉納したものだとか。

十字架以外に、キリスト像マリア像もあり、書かれた文字からは、リトアニア国内のみならず世界各地から人々がここに十字架を残していったことが読み取れます。

十字架の丘の入り口 ここにも何組もの新婚さんが

日本の神社の絵馬を思い出しましたが、大きな十字架に無数の小さな十字架がぶら下がっています。そのスケールに圧倒されます。

ここでも、十字架を手にした何組かの新婚さんを見かけました。結婚式を終えてから、十字架の奉納にくるのだそうです。

ヨハネパウロ2世奉納 大きなキリスト像も 丘の上にはマリア像

十字架の丘を後に、バスは再び国境を越えてラトビアの首都リーガを目指します。

 


旅のヒント

リトアニアを含むバルト三国の鉄道は、リトアニアの西にあり今ではロシアの飛び地となってしまったカリーニングラード州も含め、ソ連時代にはバルチック鉄道の管轄下にありました。バルト三国の独立により、それぞれの国に移管されて運行されています。

1990年代には、バルト三国の首都を結ぶ夜行列車が運行されていたようですが、これらの国々の人口密度は北海道より低く、ラトビアの首都リーガ周辺とエストニアの首都タリン周辺の国電区間を除くと列車本数は少なくなっています。

バルト三国の間で線路はつながっているようですが、直通列車はおろか、乗り換えしようにも途中に旅客列車の運行されていない区間が存在し、ラトビアのリーガからエストニアのタリンやリトアニアのビリニュスに列車で旅をすることは不可能です。

トーマスクックの時刻表では、バルト三国の首都を結ぶ路線の時刻欄にバスのマークがあり、ユーロラインのバスが運行されています。運行本数は多くはありません。飛行機は三国の共同経営でしょうか、バルチックエアーが三国の首都相互間と、広くヨーロッパや旧ソ連の各国を結ぶ路線を運行しています。

リトアニア鉄道の車両は、最近導入されたビリニュスとカウナスを結ぶ列車とビリニュスと空港間の列車を除く大半は、旧ソ連時代の車両で、更新修繕を受けて車内は綺麗になってはいるものの、採算面を考えるとバスに対抗することは困難と見受けました。

日本から見ると、バルト三国間の違いはよくわからないのですが、言葉も通貨も、そしてエストニアは民族も異なり、三国間の人の移動は多くはないようです。

一方、ソ連時代からの名残か、バルト三国の首都とロシアの間では夜行列車が運行されており、リトアニアのビリニュス発ロシアのサンクトペテルブルグ行きが、ラトビアの東部をかすめるのが、2009年夏現在、唯一バルト三国間で国境を越える列車です。

いずれにせよ、バルト三国の旅行では列車の旅は短区間のみで、長距離の移動はバス又は飛行機に頼らざるを得ないのが現状です。

※ 2010年1月より、エストニアのタルトゥ−バルガ間の列車の運行が再開され、エストニアの首都タリンからラトビアの首都リーガまで、タルトゥとバルガ乗り継ぎで鉄道移動が可能になったようです。本数が少ないので接続時間の確認が必要です。リーガとリトアニアの首都ビリニュスの間は、バスか飛行機です。

2009年8月旅
2009年12月記

 


お役に立つリンク集

これからお出かけになる方や鉄道ファンの方に役立ちそうなリンクをそろえました