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“潮州鐵道文化園區”


 潮州駅から鉄道文化園区へ

台湾南部の中心都市高雄。高雄駅から南東へ、屏東線の自強号で30分、区間車なら50分程で潮州に着きます。ここには大規模な車両基地があるため、基隆から台北、台中、台南、高雄を結ぶ西部幹線の多くの優等列車は、潮州を起終点としています。

潮州駅から南へ2.5km。2010年代に整備された車両基地の隣接地に、高雄市内にあった鉄道の修理工場、高雄機廠が移転してきたのが2021年。高雄機廠の敷地の一部に鉄道テーマとする文化施設として整備され、2022年末にオープンしたのが潮州鉄道文化園区。

オープンから11か月後の2023年11月に訪問しました。屏東鉄道文化祭の開催期間にあたり、この期間の週末限定で潮州駅と機廠の中にある職員通勤用の駅、南方小站との間でラッピングをまとった専用電車が運行されているとのこと。残念ながら訪問日は平日のため、路線バスで向かうことに。

潮州駅に隣接する潮州転運站(潮州バスターミナル)と文化園区の間には、屏東客運の607系統が1日に7便運航。市内を遠回りしていくので、所要時間は15分。こんなハイデッカーの大きなバスに乗客は私1人だけ。途中のバス停での乗降もありませんでした。

▲ 潮州バスターミナルから鉄道文化園区行きのバス

終点の鉄道文化園区で下車すると、目の前に“交通部台湾鉄路管理局潮州機廠”のゲート。“潮州”の文字だけ微妙に色が濃いのは、高雄機廠から改称した時に付け替えたことによるのでしょう。

▲ 交通部台湾鉄路管理局潮州機廠

機廠の敷地の南西側の一部を使って、鉄道文化園区を整備。その南東端、機廠のゲートの隣に切符売り場。入場料は100元(約500円)。子供や地元の潮州在住者は50元。そのうち50元は売店やカフェ等の支払いに使えるとのことで、地元民は実質無料。

▲ 鉄道文化園区の入り口

この切符売り場の小屋、後に回ってみると台鉄のEMU500型電車。隣の機廠で造ったのか、正面窓にはワイパーまで取り付けて、なかなか凝った造りです。

▲ EMU500型を模した切符売り場

敷地内に足を踏み入れると、もう1両のEMU500型が出迎えてくれます。

▲ これもEMU500型

 

 鉄道文化園区の保存展示車両

展示車両で最初に出会うのは、大きな貨物を運搬する50D10型大物車。中央の荷台部分を4台のボギー台車、8軸で支えています。日本統治時代の1942年の台湾製で、この時の型式番号はオチ11。両端に配置するボギー台車を2台取り付けた部分の型式番号が30D111と30D112、中央の荷台部分に50D11の表記があります。台車は1988年に換装。積載量50トンで、長さ21.3mは台湾で最長の貨車。

▲ 8軸の大物車

続いて、展示車両-2のコーナーへ。三色車廂として、塗色の異なる3両が並んでいます。

狭窓で藍色に白帯の普快車色の客車は、30ES32375型工事用宿泊車(中国語では工程宿営車)。線路の工事等の現場で作業員等が宿泊するための車両で、日本の国鉄にも寝台車を改造した宿泊用の工事車としての職用車、オヤ10型などがあったそうです。台湾では、日本の国鉄のオハ60/61系のように、戦後に200両以上木造客車を鋼体化改造。オハ60/61は、17m級の木造車の台枠を継ぎ足して20mにして製造したが、台湾では17m級のままで鋼体化。この中で、1960年に改造されたSP32375号は1970年に台車を換装、旅客列車での使命を終えた1994年に工事用宿泊車となったため、同型で現存する唯一の車両。

▲ 工程宿営車

各車両の横に置かれた説明用の看板。大物車が鉄道園区のキャラクタになっているらしい。繁体中国語と英語で簡単な説明があり、スマホでQRコードを読み込むと、中英日韓の4ヶ国語でより詳しい説明を読むことができます。

下の図面では、木造車の台枠を流用して鋼製の車体を組み立て、床下にトラス棒を描いているが、現車には残されていません。

▲ 展示車両の説明看板

オレンジとクリームの莒光号色の客車は荷物車(中国語で行李車)。1963年に観光号を冷房化した際に、これに連結する電源車として台北機廠で木造車を鋼体化して35EGK32300型に改造。1970年に高速化のために台車を換装。新型の電源車の登場により、1978年に発電機を撤去して荷物車化。35BK32353号は台湾最後の17m級鋼体化客車の荷物車として、2005年まで屏東線で運行。

▲ 荷物車

貨物列車の最後部に連結した2軸の車掌車(中国語で専用守車)。緊急時に列車を停止させる車掌弁とハンドブレーキの装備は、日本の国鉄の車掌車と同じ。1971年の製造で、従来型より2軸台車の板バネを長くして乗り心地を改善。片側デッキで車体が長く、窓も多く寝台の設備もあり、一部は今も稼働中。

▲ 車掌車

2両の客車と車掌車の展示スペースの隣にも線路が敷かれています。訪問時には車両はいなかったが、2025年のGoogleMapの航空写真には、この場所に2両の車両の姿が。屋根上のエアコンの配置からみて、南廻線の電化で役目を終えたディーゼルカーの自強号が搬入されたように見受けます。

▲ 訪問時にはまだ展示車両がない

その西側には、生態湖という名の大きな池。向こうに見える橋は、潮州機廠に向かう引き込み線を幹線道路がオーバークロスするための陸橋。その手前の右側に、黒い貨車が並んでいるのが展示車両-1のコーナー。

▲ 広い敷地に池があり向こうに陸橋と展示車両

池の中にある湖畔瞭望島に向かって橋が架かっている。手前の愛琴観湖平台には休憩スペースなのか、屋根の下にテーブルと椅子を並べている。

▲ 湖畔に屋根の下に椅子

この付近には、鉄道親子動物互動区として放し飼いの動物がウロウロ。馬や鹿が糞を落としているので、踏まないように気を付けて。

▲ いろんな動物が放し飼い

池の北側にある展示車両-1のコーナーへ。1両の木造客車と多くの貨車、客車や貨車で使われた台車が並んでいます。

丸屋根でオープンデッキの客車25TPK2053は、1921年に日本で製造し、西部幹線で運行された木造の3等車。1991年に工程宿営車に改造され、25ES2053と改番。1996年の廃車後に高雄機廠で修理され、鉄道文化財として屋根の下で大切に保存されています。

▲ 木造客車

オープンデッキの外側にはハンドブレーキ、台枠にはトラス棒。この客車には、2010年に苗栗鉄道文物展示館を訪問した時に出会っています。そこにいた2両の木造客車のうちの1両を、潮州鉄道文化園区のオープンに合わせて移設したのでしょう。

https://tabinosyasoukara.yu-nagi.com/miaoli/miaoli1.html

▲ オープンデッキ

何故かこの客車だけは解説が中国語のみで、スマホ用のQRコードもない仮設のもの。開園前の準備段階ではこの客車の展示が決まっていなくて、固定式のQRコード付き案内看板が準備できなかったと推測。

▲ 客車の説明

日本国内で同世代の客車が使用していたTR11によく似たイコライザー式の台車。

▲ イコライザー式の台車

ここでは車内に立ち入れないので、デッキのドアのガラス越しに車内を見ると、右側のトイレの窓は何故か透明ガラスにレースのカーテン。オリジナルは磨りガラスではなかったでしょうか。

▲ デッキ寄りにトイレ

その向かい側には洗面所。こちらの窓にも横引のカーテンが付いているが、果たしてこれがオリジナルの姿か疑問。

▲ 向かい側には洗面所

天井の扇風機は後付けでしょう。窓の日よけは鎧戸。3等車らしく、車内は木製でクッションのないボックスシートだが、この時代の客車は窓3つに対してボックス席2組の配置のはず。宿泊用の工事車から復元の際に適当に座席を取り付けたのか、シートピッチが広すぎるように思われます。また天井以外の車内はペンキ塗りだが、オリジナルはニス塗ではなかったのでしょうか。

▲ 木製ボックスシートの車内

人力で行っていた貨車の移動に、1960年代から貨車移動機(中国語で調動機)が導入されるようになり、貨物輸送業務を行う駅に配置。日本の国鉄の標準型10ドン機をベースに設計し、日本の協三工業製のほか台湾でも製造。DL-1018号は高雄で2015年まで稼働していたが、貨物輸送の減少と老朽化により廃車になりここに展示。

▲ 貨車移動機

1950から60年代の石炭生産の最盛期には、台湾では1000両もの石炭車(中国語では煤斗車)が稼働していました。初期の1953年に新造された30H100形石炭用ホッパー車は、日本のセキ3000形と同型の車両です。1959年から1969年に、車体がより長く積載量のより多い35H1000形石炭用ホッパー車を製造し、台湾電力公司の火力発電所への石炭輸送等に使用。1991年新しい車体に乗せ換えて、1995年には台車を換装しています。その後は、炭鉱の閉山により、砕石輸送などに用途を変更するとともに、数を減らしています。

▲ ホッパー車

15V2000型通風車(中国語も通風車)は、1970年に日本の汽車会社で50両製造。青果物の鮮度を保ったまま輸送するため、屋根に6つのベンチレーターを設置し、車体の上部に通気口を設けて走行による換気を強化した構造で、日本向けの台湾バナナの輸送にも使用。冷蔵輸送の発達により通風車の用途が減少し、屋根上のベンチレータを撤去して一般的な有蓋車や工事用車両に転用されたが、老朽化で廃車に。

▲ 通風車

15EF120型は、日本統治時代の1929年に台北機廠で製造されたボギーの長物車(中国語では平車)で、新造時はチボ112型の113号。戦後は大型貨物の増加に伴い、大型長物車が新造されたため、徐々に使われなくなり、1980年には鉄道の電化工事に合わせて導入した65トン操重車(クレーン車)の控車に改造。このとき、台車をオリジナルの菱枠型から今の日立製C-1形に換装して、七堵機関区に配置。1996年には操重車とともに花蓮機関区へ移動し、台車を密封コロ軸受に改造。2017年の廃車後、2019年に修復されて展示車両となりました。

▲ 長物車


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