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泰緬鉄道へ

ノンプラドックジャンクションで、南本線はマレー半島を南下するように南に向きを変えます。ナム・トク行き普通列車はここで分岐して、そのまま西へ、ナム・トクに向かう支線、第二次世界大戦中に日本軍が建設した泰緬鉄道に入ります。南本線に比べて線路の保守が良くないのでしょう、列車の揺れが増え、停車する駅も無人駅に。

ナムトク線の車窓

わずか車両1両分の短いホームだけの小さな駅では、ほとんどの車両がホームにかからず、乗客は直接線路上に下車します。

 


クゥエー川鉄橋

トンブリ駅を出てから2時間20分で泰緬鉄道はじめての大きな駅カンチャナブリに到着。ここで欧米人の観光客が大勢乗ってきました。次は3分ほどでクゥエー川鉄橋駅に到着します。

踏切の向こうがクゥエー川鉄橋駅 爆弾の左側が鉄橋 クゥエー川鉄橋にさしかかる列車と爆弾のモニュメント

鉄橋の手前の踏切のところにある単線の無人駅で、2両分ほどの長さの低いホーム以外には屋根も何もありません。私はホームの存在がわからず、間違ってホームと反対側のデッキから線路のバラストの上に降りてしまいました。

クゥエー川鉄橋 戦場に架ける橋を渡る列車

私たちをおろした列車は、観光客が見守る中でゆっくりと“戦場に架ける橋”を渡り始めます。橋の手前には、ピンクに塗られた本物の爆弾をを利用したモニュメントが線路の両脇に立っています。

この橋は1943年2月に木造の橋として完成したそうです。しかし、連合軍の爆撃で何度も破壊され、2度目から鉄の橋になりました。現在の橋は戦後の修復ですが、丸くカーブした部分はオリジナル、台形のところは新しく作られた部分だそうです。

戦場に架ける橋を渡る列車 最後尾は旅客と荷物合造車

列車が行ってしまうとあたりには静寂が戻ってきます。観光客や地元の人々が鉄橋を渡ります。バイクが警笛を鳴らして鉄橋の上を走ります。鉄橋には何ヶ所か、列車が来たときに避ける場所が設けられていますが、バイク避けになってしまっています。

鉄橋の向こう側に渡ってみましたが、そこには象が観光客を乗せるために待っているだけで、他には何もありませんでした。

鉄橋はバイクも通る地元の人の通路 鉄橋の向こうでは象が観光客を待っていた

クゥエー川鉄橋のそばには2両の蒸気機関車が保存されています。1両は、戦後にイギリスが持ち込んだ蒸気機関車で、この泰緬鉄道で使用されたものだそうです。その後ろにあるレールカーは、軍用トラックを改造したものでしょうか。

戦後活躍したイギリス製の蒸気機関車 蒸気機関車の後ろに軍用トラック改造と思われるレールカー

もう1両の蒸気機関車は、第2次世界大戦中に日本軍が送り込んだ、もと日本国鉄のC5623号です。戦後もタイに残り、タイ国鉄719号として、泰緬鉄道で使用されてきました。保存されるときに、日本人がC5623のナンバープレートを取り付けたのでしょうか。赤いカウキャッチャーと平らになったキャブの屋根がタイの特長を示しています。

タイ国鉄719号機 もと日本国鉄C5623

 


戦争博物館と連合軍墓地

ガイドの彼女はカンチャナブリは初めてだそうですが、昼食に会社で聞いてきたという鉄橋のたもとの川に浮かぶ水上レストランに案内してくれました。「コレハアマリ辛クナクテオイシイヨ」と言いながら彼女が選んでくれたメニューは、タイに滞在中で食べた食事のうちで一番おいしいものでした。しかも4人で2000円でお釣りが来ます(その後20年、日本は物価も給料も上がっていませんが、経済成長を続けるタイでは今ではこんな値段では無理でしょうね)。

鉄橋を見渡す水上レストランで昼食 小型トラックの荷台に座席を付けたソンエウ

当時の状況や遺品を現代に伝える戦争博物館はへは、ソンエウと呼ばれる小型トラックの荷台に幌をかけて座席(ロングシート)を取り付けた車両に乗って行きます。タイでは、バンコクのような大都市以外には、まともな市内バスはなく、ソンエウが走っています。決まった路線もあるらしいのですが、ガイドがチャーターの交渉をしてくれたので、ボラれなくてすみました。

捕虜収容所を再現した戦争博物館

戦争博物館は、ワット・タイチュポンという名のお寺の境内にありました。竹で作った当時の捕虜収容所を再現した建物が展示館になっています。手書きの日本語パンフレットも用意されています。外に出ると、爆弾の後ろに、クゥエー川鉄橋とこの戦争に関係した日本、イギリス、アメリカ、オーストラリア、タイ、オランダの国旗が描かれた碑があり、Forgive But Not Forget”と記されています。

Forgive But Not Forget (許そう、だけど忘れない) カンチャナブリの連合軍墓地

再びソンエウに乗り、カンチャナブリ駅の近くにある連合軍の共同墓地に向かいます。よく手入れされ、熱帯の花が咲いているこの墓地には、泰緬鉄道の工事に駆り出されて死んだ7000人近い連合軍の兵士が眠っています。また、ここ以外にも連合運の墓地があるそうです。カンチャナブリには、イギリス人やオーストラリア人を中心に、今でも多くの外国人が墓参にやってきます。

カンチャナブリの連合軍墓地

 


カンチャナブリ駅

普通列車でバンコクに戻るために、再びカンチャナブリ駅にやってきました。駅の構内には、メーターゲージ最大の蒸気機関車が保存されています。前後に2組のシリンダを持ち、それぞれの動輪がボギー構造となったガーラット型で、珍しい構造とスタイルの蒸気機関車です。ただ、この機関車はタイ北部の勾配線区で使用されたもので、平坦なナム・トク線を走ったものではないようです。

カンチャナブリ駅に保存されているガーラット型の蒸気機関車

カンチャナブリ駅にバンコクトンブリー行きの普通列車が入線します。運転台から機関助手がタブレットをホームのタブレット受けに投入します。この列車は、今朝バンコクから乗ってきた列車が終点のナム・トクまで行って、折り返してきたものです。

ガーラット型の蒸気機関車とバンコク行きの列車