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戦場に架ける橋

第2次世界大戦中、日本と親密な関係を維持していたタイは、日本に国内を通過して軍隊を進める権利を認めました。戦局が不利になり、ビルマ戦線への海上輸送路を封鎖された日本軍は、バンコクからシンガポールへ向かう南部幹線の途中から分岐し、ビルマへ向かう泰緬鉄道の建設を突貫工事で進めました。

この工事には、連合軍の捕虜周辺国民を含む多くの労働者が動員され、飢えと過酷な労働、マラリアなどの伝染病により多くの犠牲者を出しました。バンコクの西、130kmにあるカンチャナブリには、泰緬鉄道がクゥエー・ヤイ川を渡る橋が建設され、これが日本軍の軍事物資の輸送を阻もうとする連合軍の標的となりました。戦後、映画“戦場に架ける橋”(でも、ロケはスリランカで行われたそうです)で有名になりました。

タイ国鉄の線路幅は、東南アジアに多くある、日本の国鉄より67mm狭いメーターゲージです。泰緬鉄道へは、メーターゲージに改造された90両のC56型蒸気機関車が送られ、戦後もタイ国鉄や周辺国で働いてきました。1979年に、このうち2両のC56が帰国し、C5631は東京九段の靖国神社に静態保存され、もう一両のC5644はタイ国鉄C56の特長である平らなキャブの屋根のまま、大井川鉄道で現役で活躍しています。

1990年代末頃から、日本の旅行社が主催するパッケージツアーでも、カンチャナブリを訪れるコースを見かけるようになり、最近は一般化していますが、1992年当時は、カンチャナブリで見かけた外国人の大半は欧米系で、日本人はバックパッカーだけでした。

 


列車はトンブリー駅始発

前日に、現地ガイドにカンチャナブリに行きたいといったら、言葉が通じないよといわれ、彼女の友人のガイドを紹介してくれました。1日1000バーツ(当時のレートで5000円)+昼食+列車の運賃(片道130kmで当時は25バーツ約125円)の約束で通訳として同行してもらうことにしました。

バンコクとビルマの首都ラングーン(ミャンマーのヤンゴン)を結んでいた泰緬鉄道は、今ではミャンマー国境に近いタイ側のナム・トクが終点になっています。バンコクからナム・トク行きの列車は朝と午後の1日2本が、チャオプラヤー川の西岸にあるかつてのターミナルトンブリー駅(バンコクノーイともいうそうです)から発車します。

1992年当時のトンブリー駅 トンブリー駅の出札窓口

東京でいえば、かつて総武本線の一部の列車が隅田川の向こうの両国を始発駅としていたようなものでしょう。当時のトンブリー駅は、王宮の側からチャオプラヤー川を渡る船の着く桟橋のすぐ後ろにあり、駅前には市バスも発着していましたが、今では1kmほど西に移っているそうです。

バンコク トンブリー駅の様子

交通渋滞を避けるために、時間に十分な余裕を持ってタクシーでホテルを出発し、トンブリー駅に到着しました。ローカル線の始発駅にふさわしいひなびた雰囲気です。駅の隣は青空市場で構内の一部まで侵入しています。野菜の他、肉や魚も売っていますが、暑いタイで氷を使わないのですからその臭いたるや……。

駅の隣は青空市場 ホームの入り口に発車時刻と鐘

当時は、日本人客をカンチャナブリに案内することはほとんど無かったようで、ガイドの彼女は何とカンチャナブリに行くのは初めてだそうで、しかも鉄道など乗ったことがないといいます。バンコク市民にとって国鉄など所詮その程度の存在のようです。私の家族とガイドの分も含め、切符は私が窓口で購入しました。“リバー・クゥエー・ブリッジ”で通じ、硬券がでてきました。

トンブリー駅は改札口から先に櫛形にホームが並ぶ頭端式の構造。ホームの入り口には列車の行き先と発車時刻を示す看板が置かれ、その上に鐘がぶら下がっています。発車時刻になると鐘が打ち鳴らされ、4番線から列車が発車していきます。

3番線に列車が到着 時計塔を背にトンブリー駅で発車を待つナムトク行普通列車

しばらくすると、通勤客を満載した列車が到着します。多くの乗客は改札口を出て渡船乗り場に向かいますが、そのまま線路に降りて機関車の前を横切り、青空市場の中に入っていく人も大勢。

タイ国鉄には、今でもバンコクの空港連絡鉄道エアポートレイルリンクを除くと電化区間はなく、一部の優等列車にイギリス製や韓国製の、一部の普通列車に日本製の、いずれもステンレス車体の気動車が使用される他は、ディーゼル機関車が客車を牽引します。客車には1等車、2等車、3等車があり、座席車は2等車と3等車です。優等列車の1等車と2等車の一部は冷房付きですが、3等車には扇風機もありません。

3等車の車内 シートはクッションなしの木製 中間に1両だけシートがビニール張りの車両が

ナム・トク行きの発車時刻が近づき、ホームに入ります。ドイツ製のディーゼル機関車を先頭に、3等車のみの客車が6両の編成です。この機関車、タイでは少数派の液体式です。

最後尾の客車は半室荷物合造車になっています。おそらく日本製と思われる客車は、下降窓である点を除けば木製ニス塗りの車内は日本の国鉄の旧型客車によく似ており、座席は木製でクッションがないものの、形状はオハ35そっくりです。

トンブリー駅に停車中のナムトク行き

中間に1両だけ、座席がビニール張りでクッションのある車両があったため、少しでも楽なように、これに乗車することにしました。合造の優等車の改造車でしょうか、車体の中央にトイレがあり、片側4人、反対側6人がけのボックス席と窓割りが合いません。

 


南本線・ナムトク線の列車

トンブリー駅を発車すると、車窓から車両基地が見えます。第二次世界大戦中に日本がタイに持ち込み、泰緬鉄道を経て戦後のタイ国鉄で活躍したC56型蒸気機関車の姿も。

トンブリー駅を発車したナムトク行きの車窓

タリンチャン・ジャンクションから、バンコクの中央駅であるホアランポーン駅からチャオプラヤー川を渡ってきた、マレー半島を南下してマレーシアに続くタイ国鉄の南本線と合流し、複線区間になります。

車内では、焼き鳥やご飯類、ジュースなどの食べ物屋飲み物を販売する女性が発車前から何人も乗り込んで、お盆やバケツを持って車内を行き来しています。でも、この人達ってタイ国鉄公認でしょうか、それとも黙認でしょうか。ちょっと疑問。

車内販売??の女性から食料を調達する女子高生

ナコンパトムは、沿線で一番大きな駅です。バンコクの西にあるこの街は、最初の都というの意味を持ち、タイで最も古い都市といわれています。大きな釣り鐘型の仏塔が有名で、車窓からその一部分をのぞむことができます。商売を終えた物売りの女性が残った焼き鳥のお盆を持って下車します。

ナコンパトム駅 物売りの女性がお盆に焼き鳥をのせて下車

南本線はタイ国鉄の幹線の一つですが、ナコンパトムから先の線路は単線です。普通列車ナム・トク行きは、対向列車との交換待ちや急行列車の通過待ちを繰り返します。

南本線急行列車の通過

その先の停車駅で、焼き鳥を持った女性と冷やした飲み物のビンを入れたバケツを持った女性が、ホームの反対側のドアから線路上に直接下車して向いのホームへ。しばらくするとステンレス製のディーゼルカーで編成された対向列車が入線します。これでまた商売をしながら、バンコクに戻るのでしょう。

2人の物売りの女性が対向列車に乗り換え ディーゼルカーが入線

ディーゼルカーがバンコクに向け、紫煙を残して発車していきます。こちらも発車。乗客が減るのにあわせるように、車内の物売りの人数も減ってきたので、とりあえず、おなかを壊す心配のないビン入りの飲料だけ買っておきます。

バンコク行きのディーゼルカー