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世界遺産タリン歴史地区

エストニアの首都タリンは、13世紀にデンマーク人によって建設され、14世紀半ばにはドイツ騎士団、16世紀後半にはスウェーデン、18世紀にはロシア帝国と、次々と支配者が交代してきました。中世からの旧市街を取り囲む城壁がよく残っていて、外側の新市街と城壁の内側の旧市街からなり、旧市街は山の手と下町に分かれています。タリン旧市街は、ハンザ都市として栄えた時代そのままを現代に伝えています。

タリン駅から三角屋根の塔が立ち並ぶ城壁に沿って北東へ、旧市街の北端の入口、スール・ランナ門に向かいます。門の隣には、タリンの街を守るために16前半に建てられた砲塔があります。直径は24mに対して壁の厚さは5m近くに達する太い塔です。

ふとっちょマルガレータ スリーシスターズの家

牢獄として使われていた時期があり、囚人の食事等の世話をしていた太った女将さんの名前から、この塔が“ふとっちょマルガレータ”と呼ばれるようになった のだとか。今は海洋博物館として使われています。

ふとっちょマルガレータと三角屋根の塔の間にあるスール・ランナ門をくぐって旧市街に入ると、15世紀に建てられた商家が3軒並びスリーシスターズと呼ばれています。 タリンがハンザ都市であったことのなごりでしょう、各家の壁からは、屋根裏部屋の倉庫に荷物を引き上げるために使ったクレーンが出っ張っています。築500年の三人姉妹は、今 では高級ホテルとして使われています。

ブラックヘッドの会館 ロシア大使館の向こうが大ギルドの会館  

石畳の通りを南へ、ラコエヤ広場に向かう途中に大ギルドの会館があります。ギルドは中世のタリンで、裕福な商人たちによって結成された組織で、市長や市議会議員もこの会員の中から選ばれていたそうです。今は歴史博物館として使われています。

その先のブラックヘッドの会館は、タリン唯一のルネッサンス時代の建物です。ブラックヘッド組合は、まだギルドに入ることのできなかった若い独身商人たちが14世紀末に結成した組織だとか。

スウェーデン大使館とブラックヘッドの会館 ラコエヤ広場と旧市庁舎

タリン旧市街の中心、ラコエヤ広場に立つタリン旧市庁舎は、北ヨーロッパで唯一中世からの姿のまま残っています。14世紀前半に建てられ、15世紀の改修工事で現在の外観となりました。

広場の向かいの市議会薬局は、15世紀の開業当時より同じ場所にて営業を続けるヨーロッパに現存する最古の薬局だそうです。

外壁に大時計がある聖霊教会 トームペアへ続く道の門 聖ニコラス教会

薬局の裏に建つ聖霊教会も、同様に14世紀当時の姿のままです。壁面の大時計は、タリン最初の公衆時計として、17世紀に取り付けられたものだとか。

旧市街の下町から、山の手のトームペアへ、門をくぐって坂道を登ります。途中、船乗りの守護聖人ニコラスの聖ニコラス教会の近くを通ります。13世紀に建てられた教会でしたが、第二次世界大戦中にソ連の空襲で破壊されて再建されたもので、博物館になっています。

 

トームペア

トームペアは市街を見下ろす自然の丘。すり減った石畳の坂道。切り立った崖。観光客を相手に絵を売る人。城壁と三角屋根の塔も身近に見られます。

トームペアへ登る坂道 城壁の塔

丘の上、西側の崖沿いに建つトームペア城は、13世紀前半に建てられた騎士団の城に始まり、支配者が交代する毎に改築されて、18世紀に現在の宮殿のような姿になったとか。

城の裏側には、高さ50mの丸い塔、“のっぽのヘルマン”が建ち、その上ではエストニア国旗が翻っています。城の内部は、国会や政府機関が使用しています。

トームペア城 のっぽのヘルマンの塔

広場をはさんでトームペア城に向かい合って建つのは、ロシア正教アレクサンドル/ネフスキー聖堂。この地をロシアが支配していた20世紀初頭の建築です。その後、エストニアは2度にわたって独立をはたしていますが、議会の正面にロシアが居座る姿が続いています。

     
アレクサンドル・ネフスキー聖堂       大聖堂

城とロシア正教の聖堂から北に向かうと、大聖堂があります。13世紀にデンマーク人が建設したエストニア最古の教会で、今ある建物は17世紀の再建ですが、タリンの中心的な教会になっています。

     
アーモンド売り       壁から手が

トームペアを、大聖堂からさらに北に向かいます。エストニア名物のアーモンドを香料と砂糖で絡めたお菓子を売る屋台がでています。壁から手をさしのべているのはいったい誰でしょうか。

 
赤い三角屋根の城壁の塔が並ぶ中にキリスト変容教会の尖塔 聖オレフ教会と聖霊教会の尖塔

トームペアが北側の崖で行き止まりになるところが展望台になっています。教会の尖塔、城壁と三角屋根の丸い塔が立ち並ぶ旧市街の下町の向こうに青いバルト海。絵はがきのような風景が見渡せます。

展望台からみたエストニア港と大型フェリー

タリン港に出入りする白い船体の大型フェリー。湾のむこう側には歌の原があります。

 


スーパーのお総菜

レストランの食事にも飽きたので、新市街のスーパーのお総菜売り場で夕食の食材とビールを買って、ホテルに持ち帰ります。まずは、日本の銀行の窓口のような札をとって、順番に注文します。現物を指差して、容器に入れてもらえるので、エストニア語がわからなくてもOK。 売り場で片言の英語は通じます。

スーパーのお総菜売り場 ホテルの自室で夕食

ビールはどの銘柄もおいしくて、しかも安い! フィンランドから買い出しに来るのがよくわかります。

翌日は、国境を越えてラトビアに向かいます。

 


旅のヒント

リトアニアを含むバルト三国の鉄道は、リトアニアの西にあり今ではロシアの飛び地となってしまったカリーニングラード州も含め、ソ連時代にはバルチック鉄道の管轄下にありました。バルト三国の独立により、それぞれの国に移管されて運行されています。

1990年代には、バルト三国の首都を結ぶ夜行列車が運行されていたようですが、これらの国々の人口密度は北海道より低く、エストニアの首都タリン周辺 とラトビアの首都リーガ周辺の国電区間を除くと列車本数は少なくなっています。

バルト三国の間で線路はつながっているようですが、直通列車はおろか、乗り換えしようにも途中に旅客列車の運行されていない区間が存在し、2009年夏時点では、ラトビアのリーガからエストニアのタリンやリトアニアのビリニュスに列車で旅をすることは不可能で した。

トーマスクックの時刻表では、バルト三国の首都を結ぶ路線の時刻欄にバスのマークがあり、ユーロラインのバスが運行されています。運行本数は多くはありません。飛行機は三国の共同経営でしょうか、バルチックエアーが三国の首都相互間と、広くヨーロッパや旧ソ連の各国を結ぶ路線を運行しています。

2010年1月より、運休していたエストニアのタルトゥ−バルガ間の列車の運行が再開され、エストニアの首都タリンからラトビアの首都リーガまで、バルガ乗り継ぎで鉄道移動が可能になったようです。本数が少ないので接続時間の確認が必要です。

日本から見ると、バルト三国間の違いはよくわからないのですが、言葉も通貨も、そしてエストニアは民族も異なり、三国間の人の移動は多くはないようです。

一方、ソ連時代からの名残か、バルト三国の首都とロシアの間では夜行列車が運行されており、タリンとモスクワの間に1日1往復の列車があります。

2009年8月旅
2010年2月記

 


お役に立つリンク集

これからお出かけになる方や鉄道ファンの方に役立ちそうなリンクをそろえました