HOME 1/6page 2/6page 3/6page 4/6page 5/6page 6/6page


市電で海之韵公園から民主広場へ

この旧型車が華楽広場で海之韵公園方面に向けて折り返します。でも、正面の行き先は201路区間、側面 は興工街−華楽広場となって います。また、何故か前後の乗車扉ではなく中央の下車扉を開けていますが、待っていた数人の客が乗車します。

私も乗り込んだところ、車掌が声を掛けてきます。料金1元を差し出したのですが受け取りません。どこへ行くのかと聞いているのだろうと解釈して、地球の歩き方を開いて地図を見せ、東海公園となっている電車の終点 の場所を指さします。すると、どうやらこの電車は違うと言っているいる様子。一般客は乗れない電車なのかな??とも思ったりしていると、回りの乗客が地球の歩き方を覗き込んで、電車の進行と反対の方向を指さします。

新築高層マンションの入り口に守衛が立つ 海之韵公園の電停を発車する市電

やむなく下車するとすぐにドアを閉めて、電車は海之韵公園方面に走り去っていきます。何故乗れないの? 行き先が違うの? この時点ではよくわかりません。

あとで気づいたのですが、地球の歩き方'08〜'09年版の地図が間違っているようです。華楽広場が市電の路線の終点のように描かれていて、その場所の名前が東海広場と書いてます。東海広場という電停はありません。相変わらず地球の迷い方です。 終点の電停名“海之韻公園”をメモっていなかったのが敗因です。

市電に置いて行かれてしまったので、仕方なく広い電車通りを電車の走り去った方向に歩きます。沿道は左手は空き地の向こうに海、右手にはまだ工事中も含め、新築の高層マンションが建ち並び、敷地内への部外者の立ち入りを制限 しているのでしょう、入り口にはゲートが設けられ守衛が立ってチェックしています。部外者は立ち入れません。

ゲートで道路が行き止まり 埋め立て地の向こうを大連港に向かうフェリー

時折、マンションにクルマが出入りしますが、広い通りを歩いているのは私一人だけ。途中に市電の停留所が1個所あっただけですが、停留所の間隔は長く、下り坂のずっと向こうにやっと市電の終点らしきところが見えてきます。道路から分かれて専用軌道になった電停に市電が停車していて、その先は埋め立て地の向こうに海が広がっています。

電停の近くまで来たときに、電車は走り去って行きました。大連市東海商務区と書かれた青いゲートの先の埋め立て地が工事中で立ち入り禁止になっています。 道路もここで行き止まり。その先の海を、大連港に向かうフェリーや貨物船が行き交います。

市電が華楽広場で折り返して戻ってきた 線路の終端の車止め

地図によると、この先が海之韵公園で市民の憩いの場になっていますが、シーズンオフの現在は改造工事中のようです。周辺には 建築中も含め、低層から超高層まで、最近開発されたマンション群が立ち並んでいます。公園とマンションの住民の足として、 最近ここまで市電の路線が延長されたのでしょう。

周囲をブラブラして時間を潰していると、先ほどの市電が華楽広場で折り返して、また戻ってきました。電車を留置線に入れ、運転手と車掌は休憩でしょうか、電停近くのまだ工事中のようなマンションの中に入ったまま 。

 

車内の展示パネル

やっと折り返し電車が停留所にきました。 シーズンオフで乗客のほとんどいないこの区間だけ、30分ごとの折り返し運転になっているようです。大連市電の運転手や車掌さんは全員女性と思っていたのですが、何故かこの時だけは運転手も車掌も男性です。始発から乗った乗客は私一人だけ。 運賃の1元を払おうとすると、車掌は要らないと言っている様子。

この電車は車内の窓上に大連市電の歴史を示すパネルが掲げられています。1949年当時は、現在の路線(寺児溝から海之韵公園までは最近延長)に加え、大連のメインストリートの中山路や中山公園 のロータリーをまわるループ、老虎灘に向かう解放路などにも市電が通っていたようです。

1949年当時の大連市電の路線図 昔の市電の写真が展示

また、2軸の単車やダブルルーフの木造ボギー車、現在も活躍している満州国当時からの3000型、都電の1200型を正面5枚窓で3扉にしたような流線型の1000型、1980年代とは思えない野暮ったい角形の連接車など、それぞれの時代を代表する大連市電の興味深い写真も掲げられています。

繁華街を行くダブルルーフの木造車 今も走る1930年代の3000型
流線型の1000型 80年代の四角い連接車

中間の停留所で数名の乗客を拾って、電車は華楽広場に戻ってきました。ここで始発の興工街行きに乗り換えです。今度は、運賃を払って乗車します。

 


民主広場の車庫

乗り換えた電車も旧型車。この車両にも古い大連市電の写真パネルが展示されています。後日にも乗り合わせたので、旧型車に何両かあるようです。

直接制御のコントローラー 市電と三輪乗用車

液晶モニターやICカードリーダーが付いていて、自動案内放送であっても、車内は木製、大きな丸い直接制御のコントローラー、吊りかけモーターの響きとともに雰囲気は懐かしい日本の市電そのものです。

昼間でも気温は氷点下の大連ですが、車両に暖房はありません。そういえば日本だって、北海道など一部を除けば、都心部の都電や大都市の市電が健在だった頃は、車両には冷房はおろか暖房も無かったような。

民主広場にある市電の車庫 未更新車が待機

大連駅の2つ手前、民主広場では線路が分岐して車庫につながっています。ここで下車して入口から車庫の中をのぞいてみます。奥には新型連接車が入庫しており、手前に3両の旧型車がビューゲルを上げて停まっています。いずれも車体にラインの入った旧塗色、方向幕もまだLED化されていない未更新車です。これから整備されるのでしょうか。

 


旧日本橋と旧ロシア人街

民主広場から大連駅方面へ、次の停留所が勝利橋です。その名の通り、大連駅から大連港に向かう鉄道線路をまたいで、勝利橋がかかっています。

勝利橋の向こうにロシア建築の大連芸術展覧館 勝利橋の下をくぐる列車

満州国当時は日本橋と呼ばれていたそうで、橋の北側には大連芸術展覧館が建っています。20世紀の初めの東清鉄道汽船の建物のレプリカで、美術館になっています。もう一つのレプリカは大連の姉妹都市、北九州市門司港にあるそうです。

東風4D型ディーゼル機関車 韶山8型電気機関車 向こうはディーゼルカー?

大連駅から勝利橋の下をくぐった大連港方面に操車場があるようで、橋の下を次々と回送列車やディーゼル機関車、電気機関車が行き交います。中国を代表する東風4D型ディーゼル機関車や韶山8型電気機関車です。向こうに停まっているのは業務用のディーゼルカーでしょうか。

DLが旅客列車を入れ替え中 勝利橋からみた大連駅

勝利橋の上から、発車待ちの列車の並ぶ大連駅のホームが見渡せます。

大連芸術展覧館の先は、旧ロシア人街です。その昔、ここはロシア人の居住区だったそうで、復元により通りの両側にロシア風の建物が立ち並んでいます。寒いので人影もまばらですが、マトリョーシカなどの土産物を売る露店 も出ています。店番はもちろん中国人。

道路の両側にロシア風の建物が建ち並ぶ旧ロシア人街

ロシア人街の一番奥、噴水のある広場に面して白い瀟洒な建物があります。ロシア統治時代の市役所で、満州国当時は一時期南満州鉄道の本社となり、その後満鉄経営のヤマトホテルに、これらが日本広場(今の中山広場)近くに移ると満蒙資料館となり、解放後は自然博物館に、そして今はただの空き家だそうですが、大連の歴史を見つめてきた建物です。

露店でマトリョーシカを売っていた 大連の歴史を見つめてきた旧自然博物館

 


地下街のフードコート

勝利橋から線路沿いに大連駅まで歩きます。駅裏の凱旋広場の地下は広い商店街になっていて、地下2階の一角にあるフードコートには多くの店が入っていて、ここで昼食にします。

フードコートは見本が出ているので指さしで注文OK フードコートの170円のランチ

見本がでている中から、野菜炒めを選びます。店の小姐が何か聞いてきます。見本の上に乗った赤い小さな唐辛子を指さしているので。辛いのは大丈夫かと聞いていると思い、“ラーOK”と言っておきます。ご飯もついて12元。辛いけどおいしくいただきます。