HOME  1/3page  2/3page  3/3page


続いて、ラトビア鉄道歴史博物館の屋外に展示された電車、客車、貨車と特殊車両を紹介します。

緑に黄色の帯の共産圏色をまとった1963年ラトビア製のER2型電車ですが、バルト三国の鉄道では、同型が現在も更新修繕工事を受ながら現役で活躍しています。先頭車は長さが20.118m、重量が40.9トンで定員88名、中間電動車の長さは20.157m、重量が54.8トンで定員110名、出力800kWで最高速度130km/h。

▲ ER2型397号電車

扉は折り戸のように見えますが、両開きの引き戸です。戸袋に窓はありません。窓枠は木製でニス塗り、四隅にRをつけたデザインです。

▲ ER2型の中間電動車

車内に入れるようにステップが置かれていますが、残念ながらドアは施錠されています。ステップを登ってドアの窓から車内をのぞいてみると、内装やデッキとの仕切ドアは木製でニス塗り、シートも木製でクッションのない簡易なつくり、室内灯は小さなグローブ付きの白熱灯のようです。

▲ ER2型の車内

East China Railway ですから、ロシア帝国が満州北部に建設した東清鉄道 (満州里−ハルビン−綏芬河の本線と、ハルピン−大連−旅順の支線)でしょうか。そこから注文を受けて、20世紀の初めにロシアで造られた装甲サロンカーです。

窓から下は、厚い弾丸よけの鉄板がリベット止めされています。第二次大戦中はソビエト陸軍元帥が使い、戦後はバルト三国やカーリングラード地方の軍の元帥の出張用に使われました。1980年に、軍の歴史と愛国博覧会でJelgava駅にて公開され、1996年に博物館入りをしています。 自動連結器とバッファの両方を備えています。

▲ 生まれは東清鉄道の装甲客車

蒸気機関車と装甲客車の間に連結されたこの客車は、解説がないため由来はわかりません。床下にはトラス棒が付き、屋根には小さな煙突のようなものがたくさんついています。ベンチレーターでしょうか。

▲ この客車はデータがないのでよくわかりません

小さな窓のある緑色の貨車には、車内に入れるようにステップが置かれていますが、扉はやっぱり施錠されていました。この貨車も、解説がないため由来はわかりません。自動連結器とバッファの両方を備えています。

▲ この貨車はデータがないのでよくわかりません

木造の2軸有蓋貨車は、何とも簡素なつくりでブレーキすら装備していないように見えます。バッファとリンク式連結器ですから、古いものなのでしょう。この貨車も、解説がないため由来はわかりません。

▲ 幅が広いので背が低く見える有蓋貨車

木造のラッセル車がいます。前後どちらでも雪かきができるよう、両端に右側通行の複線用スノープローを装備しています。除雪できる積雪は、連結器から下の深さ60cmまでのようです。1946年のロシア製で、2003年まで現役だったそうです。除雪時の速度は45km/h、移動時は70km/h、斜め45度に装備した、全長12.8mの除雪翼をたたむと幅2.4mとなり、広げると幅5.1mで除雪します。重量は26.5トン。

▲ 両端に複線用の除雪装置を持つラッセル車107号

線路上を移動しながらバラストを突き固める保線機械マルタイタンバー、日本ではマルタイとも呼ばれていますが、ВПР-1200型259号機は1986年のロシア製で、2004年まで使用されていました。長さ17.96m、重量41.4トン、176kWのエンジンで油圧ポンプを駆動し、1時間あたり枕木1200本の距離の保線作業ができます。

▲ ВПР-1200型保線用のマルタイ

MK6型1940号機の移動式クレーンは1949年製、連結したプラットフォーム(台車)は1950年のいずれもロシア製です。当初は蒸気機関で駆動していたが、後にガソリン機関駆動に改造されています。重量29トンのクレーンの連結面間の長さは6.18m、重量9.2トンのプラットフォームとあわせた長さは16.604mで、自走時には18km/h、機関車で牽引するときは25m/hで走行できます。クレーンの先端にはフックやグリッパーを取り付け、1940年代から50年代には広く使われました。

▲ MK6型クレーン車

 


戻る