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慶州駅到着

紀元前57年から935年まで新羅王朝千年の都であった慶州は、仏教の隆盛とともに栄えた古都で韓国観光のメッカといわれています。 でも、列車が慶州駅に到着したとき、意外なことに下車した乗客はわずかでした。大半の乗客はもっと遠くまで旅行するようです。

慶州駅に到着したムグンファ号 扉は外吊りの引き戸 古都の玄関慶州駅

駅前に観光案内所があったので、名所巡りの観光バスがあるか尋ねてみました。日本語で聞いたら、係の30代の女性は“今日はもうない、次は明日”と英語で返してきました。日本語がわかっているのに。やむなく、自分の足と路線バスでまわることにしました。

 


新羅の都慶州

中国の唐と手を組み、高句麗・百済を滅ぼして半島を統一した新羅の都がおかれた慶州は、朝鮮半島の中心地として国際的な都市でしたが、新羅の滅亡により都は衰退し、豊臣秀吉をはじめとする日本の侵略などにより多くの寺院や文化遺産は破壊されて現存するものは少ないそうです。

慶州の見所は、駅の南に広がる古墳公園から国立慶州博物館にかけての一帯と、2つ手前の仏国寺駅の東にある古刹仏国寺の周辺に分かれます。

まず、駅から南西へ少し歩くと新羅王族の古墳群がある大陵園があり 、一般には古墳公園とよばれています。街中の約15ヘクタールの敷地内に大小23の古墳が並ぶ公園です。いずれも5〜6世紀ごろの王陵とされており、天馬の図が描かれた馬具をはじめ1万点以上の副葬品が出土した天馬塚をはじめ内部を見学できる 古墳もあります。

古墳がならぶ慶州の古墳公園 天馬塚は内部が公開されている

古墳公園を出て南東に少し行くと、瞻星台がありあます。7世紀、新羅の時代に建てられた東洋最古の天文台で、韓国文化のシンボルとして切手やポスターによく登場しています。

国立慶州博物館は、慶州の遺跡や古墳から発掘されたものを中心とする8万点の収蔵品の中から2500点が展示され、ソウルに次いで韓国第2の規模を誇ります。展示物は見応えがあり、古代の日本と朝鮮半島のつながりの深さがよくわかります。屋外には、新羅の景徳王が父の冥福を祈って鋳造させた国宝の聖徳親王大鐘も展示されています。

東洋最古の天文台といわれる瞻星台 国立慶州博物館 国宝の聖徳親王大鐘

博物館に隣接して、新羅の王宮だった半月城跡があります。敷地の形状から名付けられたそうで、高麗に滅ぼされたのが935年ですから今では建物は何も残っていません。一角に花崗岩をドーム状に積み上げた石氷庫があり、氷や食糧の貯蔵に使われた冷蔵庫ともいわれています。

ここに遠足に来ていた幼稚園児のお弁当の中身はみんなのり巻き。植民地時代に日本人が持ち込んだものだそうです。釜山に帰ってから夜店で買って試食してみましたが、日本のものとは芯が異なっていました。

半月城の石氷庫 遠足のお弁当はのり巻き

半月城に隣には、その離宮につくられた人工池の雁鴨池があります。1975年の発掘調査で、池の底から仏具や舟遊びに使われた船など2万点のも遺物が出土したそうです。ここでは、何組もの新婚さんがプロのカメラマンによる写真撮影をしていました。

半月城の離宮にある人造の池 雁鴨池に面して建つ臨海殿 雁鴨池では何組もの新婚さんが記念撮影中