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プラハ新市街

A線とC線が交差する地下鉄Museum駅で下車して地上に出ると、国立博物館があります。この先、地下鉄A線がB線と接続する次のMustec駅までの間750mが、札幌の大通公園のような 幅60m広い通りになっていて、両側にホテルやデパート、レストランがならんでいます。ここが新市街の中心、ヴァーツラフ広場です。

東西冷戦時代の1969年、“プラハの春”と呼ばれたチェコの民主化運動が、旧ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍の介入によりに弾圧を受けたときに戦車が乗り入れたのがヴァーツラフ広場であり、その20年後の1989年に民主化を求める100万人の 市民のデモ行進により共産党政権の崩壊に至る無血革命“ビロード革命”の舞台となったのも、ここヴァーツラフ広場です。

ヴァーツラフ広場 正面に国立博物館 ヴァーツラフ広場で見つけたオールドトラムのカフェ

夏休みのヴァーツラフ広場は、そんな歴史の大舞台になった面影はなく、市民や観光客がベンチでくつろぎ、広場の一角では、プラハのオールドトラムを改造したカフェが営業していました。


プラハのトラムはタトラカー

プラハ市内には、市電が縦横に走っています。ヴァーツラフ広場から旧市街まで、地下鉄A線で1駅、十分に歩ける距離ですが、先ほど地下鉄に乗る時に買ったの切符がまだ有効だったので、少し遠回りになるけど市電で行くことにしました。市電は古い石畳の街並みによく似合っています。狭い建物の間をすり抜けるため、複線の線路が相手の線路の間に割り込む、ガントレットの区間も何ヶ所かあります。

プラハでは、地下鉄、市電、バスの切符は共通で、8コルナ(約35円)の乗り換え不可1回券に比べ、お得な12コルナ(約50円)の乗り換え可能1回券を購入していました。これだと、最初の改札機に通してから1時間、土日と休日は1.5時間有効です。この日は土曜日でした。切符は乗車前に要する必要があるので、何度も購入するのが面倒なら70コルナの24時間券もあります。

ガントレット区間から飛び出すタトラカー タトラカーの車内 オレンジ色の箱は切符の改札機

プラハの市電は、タトラカーと呼ばれる共産圏の標準車です。長年にわたり、ここプラハのタトラ社で大量に製造され、東ヨーロッパ諸国から旧ソ連の諸国、遠くは極東の北朝鮮まで、同じデザインの路面電車が走っています。車体は丸みのあるデザインで、後に角張ったスタイルにモデルチェンジされています。大半の系統は終点のループ線で方向転換するため、運転台は片側のみ、京都の700型や横浜の1600型のような4枚折り戸の扉も左側のみに3ヶ所ついています。

角張ったデザインの新型タトラカー シングルアームのパンタグラフ 角張ったデザインの3車体連接車は両運転台

大半は、同じデザインの車両の2両編成ですが、系統や時間帯によっては単行運転もあり、唯一3車体連接車だけは例外的に、両運転台に両側に扉を持つていました。

車内は1人がけまたは1人がけと2人がけのクロスシート。第二次大戦後にモータリゼーションにさらされたアメリカ で、路面電車再生のための技術革新に取り組んだPCCカーの技術を導入したそうで、静かで加減速の良い高性能車です。西ヨーロッパでは一般化している低床車はまだ見かけませんが、タトラ社がシーメンスの傘下に入ったとの情報もあり、いずれは新しい低床車が投入されるのでしょう。

プラハ市電はこちらでもご紹介しています


プラハの中心旧市街広場

プラハの中心は旧市街広場です。広場に面して旧市庁舎が建っていて、その中にツーリストインフォメーションがあります。市電の路線図をほしいと言ったら、何故かスペイン語版を手渡されてしまいました。

級市庁舎の建物の下の方に有名な天文時計があります。縦に並ぶ2つの円の上は、建設当時に信じられていた天動説に基づく地球の周りを回る太陽と月だとか。その上がからくり時計で、毎正時近くになると見物人が集まってきます。窓が開き、死に神のならす鐘の音とともにキリストの12使途が窓の奥を通り、時計の上に現れる鶏が鳴いて終わりとなります。

旧市街広場 正面の双塔はティーン協会 天文時計がある旧市庁舎

広場の東には、2本の美しい塔が目立つゴシック様式のティーン教会があります。10世紀に建てられ、12世紀の改築で今の姿になったとか。広場にはオープンエアのレストランがテーブルを並べ、世界各地から集まる観光客のために十ヶ国以上のメニューをそろえています。もちろん日本語もありました。

旧市街広場のオープンエアのレストラン 正面は聖ミクラーシュ教会 カレル橋の塔から見た旧市街方面

ティーン教会の対角には、バロック様式の白壁の聖ミクラーシュ教会が荘厳な雰囲気を漂わせています。こちらは18世紀に今の姿になったそうです。

旧市街広場から小さな店の建ち並ぶ狭い路地を西に向かうと電車通りがあり、その向こうにはヴァルタヴァ川が流れ、プラハ最古の石橋、カレル橋がかかっています。橋の両側のたもとにはが建っており、その上にあがると旧市街から川の向こうのプラハ城まで見渡せます。


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