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徐家匯の繁華街

昼食をとりに、地下鉄1号線で徐家匯に戻ります。ここには、交差点に面していくつもの新しくて大きなショッピングセンターのビルがあり、大勢の人々でいつも賑わっています。

地下鉄1号線徐家匯駅  ショッピングセンターの建ち並ぶ賑やかな徐家匯

横断陸橋から見下ろす4車線の通りにクルマの多いこと。かつての中国名物の自転車の大群はどこへ行ってしまったのでしょうか。路線バスもすっかり綺麗になり、屋根をみると何とエアコンまで付いています。でも、さすがにノンステップ車までは見かけませんでした。

 


由緒ある客車のレストラン

地下鉄徐家匯駅からすぐのところに教会があり、その向かいには古い修道院を改装したレストランがあります。その名は“上海老”。上海の古い駅という意味でしょう。中庭を囲む形で、古い英国製の蒸気機関車と、2両の由緒ある客車が置かれていて、その車内で食事をすることも可能です。庭に面したテラスもあり、陽気のよい時期はここが特等席でしょう。

建物は元は修道院だった上海老站 お目当ての上海蟹 ちょっと高いが実においしい

でも、ここは英語も通じる高級な上海料理のレストラン、味も一流ならば値段も。決して鉄道ファン(なんて中国にはいないのかな)向けの店ではありません。

客車の中で食事をしたいと言ったら、緑の客車に案内してくれました。車内は中庭に面した側にテーブル席があり、天井灯や窓のカーテンにかつての面影をとどめているようです。車窓からの眺めは、正面の庭の向こうにもう1両の客車が、左手は蒸気機関車、右手はかつて修道院だったレストランの建物です。

孫文の夫人が使った客車 車内はこんな感じで落ち着いて食事ができます

どうやら、案内された客車は孫文の夫人が使った1919年製で、向かいのオープンデッキの木造車は1899年製の西太后専用車だったようです。台車をみると、いずれも枕バネがコイルバネのシュリーレンタイプをはいており、年代が一致しませんが目をつぶることにしましょう。

中庭には英国製の蒸気機関車も保存 こちらのオープンデッキの客車は西太后の専用車

ここでお目当ての上海蟹を味わいました。上海蟹は淡水ガニで、秋から初冬に蘇州近郊の陽澄湖や無錫の太湖で採れるものですが、今では養殖が多いとか。蒸しガニにして黒醋で食べるという、中華料理にしては極めてシンプルな料理法で、小さな割ににはなかなかの値段ですが、蟹ミソのうまさは上海に来てよかったと思わせてくれます。

 


夜の上海B級グルメ

高級レストランでの昼食のあと、一旦ホテルに戻ってしばし休憩の後、今度は“Hanako”の上海特集号に紹介されていたB級グルメを求めて、再び地下鉄で街に繰り出します。 人民広場/人民公園駅で2号線に乗り換えて1駅、石門一路で降りて南京西路から1本入ると道路にいろんな食べ物屋の店が出ています。

固定窓で冷暖房完備の地下鉄車内 さんざしあめを売る露店

香港や台北、高雄の夜市とは比べものにはなりませんが、なかなかの賑わいです。揚げ小龍包屋の店がありました。店の前の道路に並べたテーブルでいただくできたての小龍包。中にはたっぷりのスープで実に美味、安くて大満足。

小龍包屋さん 店の前の道にならべたテーブルで食べる 上海でも甘いお菓子は女性に人気

上海最後の夕食は、“Hanako”が地元の人に人気と紹介していたレストランへ。再び地下鉄1号線で常熟路駅から地図を頼りに暗い道をかなり歩きました。やっとたどり着いた店のメニューには、日本語はもちろん英語もなく、唯一片言の英語ができる店の小姐に手伝ってもらいながら漢字のメニューを何とか解読して注文しましたが、ビールを飲んで、おいしい料理をたらふく食べて、1人あたり400円で大満足の上海でした。

 


旅のヒント

租界時代の建物のならぶ外灘、黄浦江に沿ったプロムナードで一人の男が“日本人ですか?”と声をかけてきました。年齢は50代の後半でしょうか。

実はこのおじさん、2002年7月に産業編集センターから発行されている書籍、“ほいほい旅団上海不思議世界を行く”の中にも、“外灘で出会った日中友好家”として登場してい るのを、帰国後に見つけましたから、かなりの有名人かもしれません。

海外で、それも日本人観光客のよく行くところで日本語で声をかけてくる現地人に会ったら、90%は何らかの下心があるとみて間違いがないでしょう。トルコ編でも書きましたが、チャナッカレ大学日本語学科の学生をトルコ絨毯の客引きと思って失礼な態度をとった反省もあり、適当に相槌を打っていました。

一時期、日本の亜細亜大学だったか東洋大学だったかで教えていたことがあるとか言い、東京から来たというとやたらと東京をほめて上海をけなしたり、一方的にしゃべりまくります。そうこうするうちに、カバンから紙とハサミを取り出して、私の横顔の切り絵を作って、“日中友好ののために”プレゼントしてくれました。上手にできています。

ここまでは、ありがたくいただいておいたのですが、さらにカバンからビニールのシートに入った数枚の立派な切り絵を取り出し、“これもあなたにあげます”ときました。こうなると、とどう考えても変です。これを受け取って面倒なことにならないように、“初対面のあなたからこのような立派なものまでもらうわけにはいかない”と固辞したところ、次の獲物を求めてさっと立ち去ってしまいました。

やっぱり、海外の観光地で、日本語で話しかけてくる相手には気をつけなければいけません。

2002年12月 旅
2004年 2月 記

 


お役に立つリンク集

これからお出かけになる方や鉄道ファンの方に役立ちそうなリンクをそろえました
中国 上海・蘇州・無錫・南京 1991 や 
中国 哈爾浜・長春・瀋陽・大連 2001 のリンク集も参考にしてください)

 


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