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シエナは丘の上の街

中世の面影を強く残すシエナへは、フィレンツェとピサをむすぶ鉄道の中間駅、エンポリからローカル線が通じています。フィレンツェから直通の列車 、レッジョナーレ(各停)で1時間半ですが、バスの方が早くて本数が多く、バスターミナルは駅より街の中心に近くて便利です。

     
シエナのバスターミナルに近いサン・ドメニコ教会       市庁舎であるプリブリコ宮殿

丘の上の街シエナは坂道ばかりです。バスターミナルから登っていくと、市の中心カンポ広場にでます。まわりを1中世の建物で取り囲まれ、、13〜14世紀に建てられた市庁舎であるプリブリコ宮殿とレンガ造りの鐘楼、高さ102mのマンジャの塔が見下ろす世界一美しいといわれるこの広場は平ではなく、貝殻のような穏やかなスロープを描く扇形をしています。 いつもはオープンエアのレストランがテーブルをならべていますが、夏祭りではここで競馬が行われるとか。

     
シエナのドゥオモ       ドゥオモ内の洗礼堂

さらに狭い道を登ると、ドゥオモがそびえています。12世紀から14世紀までかかって建造された、白と緑とピンクの大理石でできたイタリアンゴシックの建造物です。ドゥオモ正面の反対側に洗礼堂の入り口があります。ドゥオモと間違えて入ってしまいました。こちらは有料です。

 


清貧の聖者フランチェスコの街アッシジ

シエナからバスでアッシジに向かいます。アッシジはローマ−フィレンツェ間の幹線からやや東にずれたローカル線にそって、中田英寿で日本人にも有名になったペルージャの近く、スバシオ山の中腹にある街です。近づくと、田園地帯の向こうにこの街で生まれたキリスト教の聖人、聖フランチェスコをまつるサン・フランチェスコ教会の威容が見えてきます。

アッシジの街に入る前に、国鉄アッシジ駅のそばにある、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会に立ち寄ります。

     
サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会       教会の中にあるポルティウンクラ

この教会は、教会の中に教会があります。ポルティウンクラという小さな建物で、フランチェスコが布教を始めて間もない頃に譲り受けたとされています。サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会は、16世紀にポルティウンクラを保存するために建てられた教会ですが、地震による倒壊を経て、今ある教会は19世紀の再建だそうです。

アッシジの街の入り口から見上げたサン・フランチェスコ教会 サン・フランチェスコ教会の正面

アッシジの街の入り口から見上げるサン・フランチェスコ教会の大きさには目を見張るものがあります。 13世紀に教皇グレゴリウス9世によって建てられたこの教会は、上下2層に分かれていて、内壁には美しいフレスコ画が残されています。でも、清貧の聖者といわれたサン・フランチェスコの目に、この巨大な建造物はどう映っているのでしょうか。

アッシジには世界各国から修道僧が集まり、 案内してもらったのはここで修行する日本人の僧でした。

     
アッシジのホテルの部屋から見た田園風景       アッシジの狭い坂道に観光客が行き交う

私がここを訪れた3年後の1997年に、アッシジは大きな地震に襲われ、サン・フランチェスコ教会も甚大な被害を受けたそうです。壁画が描かれた壁や天井が崩れ落ちて亡くなられた修道僧もおられ、何十万個にも分かれた壁画の破片をジグソーパズルのように修復する作業が続けられているそうです。

 


ローマテルミニ駅

アッシジで1泊したあとは、永遠の都、首都ローマに向かいます。ローマの玄関は、映画終着駅で名をはせたテルミニ駅。荘厳な大理石のミラノ中央駅に比べれば、何の変哲もない近代的な地上駅ですが、さすがに規模は大きく、1番線から22番線までホームが並び、レストランからショッピングセンターまで、何でも揃う1つの街を形成しています。

当時のイタリア国鉄の看板電車初代ペンドリーノ 当時の空港線の電車

駅では、次々と色んな列車が発着して見飽きることがありません。当時の看板列車、振り子式のETR450型ペンドリーノはミラノ行き。2003年に再訪したときは、ETR500型イタリアンユーロスターに置き換えられて、初代ペンドリーノはペルージャ行きのローカル仕業を担当していました。

プッシュプル式の2階建て客車 ブルートレイン 寝台列車でしょうか